2004年6月雑記ログ>>6/30-2 [日記]HTMLタグを教える 2枚目「菅野よう子」の「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Original Sound Track」 サークルの友達にHPを羨ましそうに、作りたいとおっしゃる方が居たので、 今日ご教授してきた。 HP作成に関して、我流概論とか話してきたけど、う~ん。 せっかくなので、タグで覚えてもらおうという事に。 文系にタグって理解できるのかな?なんて思ってたけど、 彼はけっこうのみ込みが早くて助かった。 後は自分勝手に出来るくらいには、概要は伝えられたと思う。 そーだな、HPに関する概論くらい書こうか。 あぁ、まだ書くべき文章たくさん残ってるのに……。 >>6/30-1 [本]書評『マーフィー「成功生活」88の方法』しまずこういち1998 俺は基本的にこの手の本が嫌いだ。 まず、その人の人生はその人が思い描いたとおりになる、とある。そんなわけあるまい。俺はそんな楽観視できるほどくだらない人間じゃない。思い通りにならないから、人生は面白いのではなかったのか? 良い事が起きると思えば良い事が起きて、悪い事が起きると思えば悪い事が起きる、とある。常に、予想は外れるものだ、これが俺の信条である。今まで俺は、幾度と悪い事態を考えてきたが、それが現実になった事はほとんど無い。悪い事は突然やってくるから悪い事であると思う。 要するにこの本は、上の二つの事項を立証するための実例集だ。素のまま読めば胡散臭い内容が陳述されていて、苛立つばかりだ。 それにしても、俺は運が良い。今のところ人生は驚くほどうまくいっている。交友関係も良好であるし、不自由を感じた事など全くなければ、制限された事もない。全て自分の意志で行動できる環境を都合良く手に入れている。これは俺が望んだわけではない、憧れはしたが、ただ、俺は運がよいのだ。 だが、俺はあってはならない人物に会ってしまったのかもしれない。この本の内容を体現している人物だ。もちろん同じ年ではない。会社を持って、経営し、成功している人物だ。俺は彼の下でアルバイトさせてもらっている事になる。 俺は彼の話を聞いたとき、現実とはこれほどにひどいものかと思った。紙は折れにこれを受け入れろと言うのか。くだらない、と思わせる隙など無かった。俺はここで『セカイの裏側』に踏み入れてしまったのかと思ったくらいだ。 これを幸運と思うか、狸に化かされたかと思うか、俺自身はまだ決定し損ねている。そして俺は基本的に運が良い。たぶん、幸運なのだろう……。 >>6/29 [日記]行った事もない実家に帰るのに7万ってどうよ 今日のBGMは「U2」の「THE BEST OF 1990-2000」。 一度家にある50枚のCDを全部聞いてみよう。 もう6月も終わりです。 なんだか、雨がやたら少なかったような。 数日、どしゃ~とか降った記憶はあるけど、 雨も確かに降った程度にしか思えない。なんだ最近? 行った事もない実家に帰るのに7万ってどうよ。 いや、行った事もない実家ってのは、別に不幸がある訳じゃなくて、 俺の移動と、親の転勤が重なっただけなんですけど、 電車で行ける範囲ならともかく、飛行機距離って何? しかも、俺のパソコンも親のパソコンも、 ヘッドセットとカメラを導入したもんだから、 毎日じゃなけど、顔だけは合わせておしゃべりも普通に出来る。 というのに、7万も払っていかねばならんのか……。 うむ、今年は行くとして、来年行くかはわからない。 7万かぁ、7万あれば、液晶モニタ買えるよなぁ。 >>6/28 [日記]おにぎりせんべいって、全国的なお菓子じゃなかったんだ…… おにぎりせんべいというお菓子をご存じでしょうか。 その名の通り、おにぎりの形をした醤油味のおせんべいなのですが。 いや、俺はそれをてっきりうまい棒に並ぶ全国的に有名な駄菓子、 とばかり思っていた。 大学の友達に聞いてみると、みな知らない……。 えっ、知らないの、あんなにおいしい駄菓子?! ある人が発売源に問い合わせたところ、 石川県では一部のローソンとジャスコでしか扱っていないとの事。 真相を確かめるために、ネットで探していると、ちょうど良い資料を発見。 おにぎりせんべい分布調査 マジで、全国もののお菓子じゃなかったんだ……。 かなり残念。 ですが、ここのHPで不運にもおにぎりせんべいを知ってしまったアナタ、 ちょっと無理してでも、もし見つけたら買ってみてください。 俺は好きです、かなり。 >>6/27 [日記][ゲーム]果てしなく青い、この空の下で…。 久しぶりに前にやったギャルゲの一つをやり直している。 プロフィールのは"まったもしくは好きなゲーム"欄にも書いてある、 「果てしなく青い、この空の下で…。」と言う4年前のゲームなのだが。 やっぱ最高。うん。俺の中では、ギャルゲ、エロゲ含め一番だな。 水彩画調の素朴なCG、 素朴な田舎の雰囲気、 田舎の音に拘った否BGM、 洗練された演出、 素朴にかわいいヒロイン(うざくない)、 しかし確実に表現されたヒロインの二面性、 裏腹に痛すぎるシナリオ、 完成された舞台設定、次々と謎が解けていく楽しみ、 サスペンス演出の際立ち、 巫女!メイド!猫耳!しかも全く自然に登場!、 むせかえる鬼畜(笑) ここまで俺好みのギャルゲは他にはないですね。あくまで俺好み。 メモリアル版が発売されているので、今のギャルゲに飽きはじめたらやってみては。 やっぱり古いゲームなので、微妙な差異は感じちゃいますが。 >>6/26 [日記]カレーがうまい カレーはレストランで食べるものではないと思う。 一流のシェフが、「カレーを作った」と言っても大して凄いとは思わない。 カレーは大衆料理であって、 日曜日の定番メニューか、キャンプ先のカレーか、レトルトか、その程度のものだ。 外にカレーを食べに行くとしても、 お昼のサラリーマンを抱える食堂であったり、 それかインド料理と銘打ったカレー屋であったり、 でっかい鍋からカレーをかけるだけのファーストフード感覚であったり、 どこかのレジャー施設のあきらかなレトルトカレーであったり、 どことなく、「雑」なものというイメージが俺にはあったわけだ。 だから、今まで大してカレーに対して、うまいだの、まずいだのは考えてこなかった。 というよりは、外のカレーはココイチの味に慣れてしまっていた。 行ったのは、「お昼のサラリーマンを抱えるカレー屋」の一種だ。 狭い店内に、カウンターと申し訳程度のテーブル席。 カウンターの向こうでは、無精ヒゲを生やした無愛想なおじさんがせっせと何かしている。 カレーを注文すると、 でっかいおひつからご飯をすくい、でっかい鍋からカレーをすくう、 福新漬けとキャベツを添えて、すぐに出てくる。 器も器で鉄板を器型に加工しただけのシンプルで安価な感じのものだ。 しかし、それがうまかった。 初めてカレーに対してうまいと思ったのかもしれない。 俺は思った、おじさん方は自信を持ってこのカレーを出しているんだなと。 ただそれだけなんだけど、なんだか一口目から、おおっ、と思うくらいうまかった。 辛い、とか、そういうのじゃなくて、やっぱり大衆的な雑な味付けなんだけど、 それでもうまいと思わせてくれる。うん。 言葉の表現のしようがない。 いや、感動するほどうまかったかと聞かれると、 そこまで違いがあってうまいわけじゃなくて、 大衆カレーを極めて今の味に至った感じがして、 だからこの程度の味だろ、とナメて食べたら、まぁうまい。 とにかく、カレーがうまかったんですよ。 >>6/25 鈍くせぇ、俺!! 自分の鈍くささを本当の意味で理解し始めた。 言われた。喋りは早いのに、動きが鈍くさい。 全くその通りでございます。へこへこ。 普通の人は考えなくても出来る事を、 私は考えに考えた末に失敗するのです。 まぁ、なんと利益のない人間なのでございましょう。 残念ながら、私にはそのあなた達が言う「適当」が理解できないのです。 しかも使えないときた。 あぁ、こりゃダメだ。 しかし、それでも私は考える側の人間である事を願う。 それこそが自分の価値である事を信じて疑わないからだ。 いや、信じないと何も残らないだけかもしれない。 過去の経験で、それで救われた事があっただろうか? 一つ、かけがえのない仲間に出会えた事だろう。 他には、個人利益の範囲で救われた事があったか、無い。 ならば、私は一つしか望まない。 それさえ叶えられれば、社会不適合者のレッテルを貼られたって構わない。 唯一の願い。 私に考える場をお与えください。 この頭は考えるために存在しているのであります。 だから、考える事だけを私にやらせて、 あなた達は私から考えた事を搾取したって構いません。 考えずに過ごすなんて無理。 楽に過ごすなんて無理。 私はそんな人間じゃない。 苦労人である事、損である事などとうに判っている。 でも、私はそれしかできない頭の固い人間なのです。 >>6/25 普通の日記 一日のおしまいに。 最近、 本読む暇がない、 パソコンする時間がない、 勉強する時間がない、 眠る時間がない。 どうやって親に顔向け致しましょうか(泣) でも、まいにちどきどきして楽しいです。 人間やってます。 >>6/22 普通の日記 ショック!!! バイトの帰り、近所のコンビニが閉まってる。 今時、24Hじゃないコンビニなんて……。 >>6/20 その2 普通の日記 今、CobaのCD聞きながらこれを書いています。 Cobaって、あのアコーディオンの人ですよ。 おしゃれカンケイのテーマ曲、って言われたらピンとくるかな? 最近はこういうイージーリスニング系が好きだったりする。 篳篥の東儀秀樹とか、三味線の吉田兄弟とか、ビフォアフターの松谷卓とか。 イージーリスニングorサントラのCDが20枚超えたっぽい。 あと、小説βに2作品追加しました。 『「人殺すんだけどさ、手伝ってくれない?」と唯一無二の親友は言った。』 『カガクシャ』 の2作品。どちらも、ショート×2。しかも千字小説です。 おすすめは前者。後者は読むだけ損です(キッパリ)。 酔狂な人だけ読んでください。 前者は、会話だけを連ねた作品。 会話だけでこれだけ語れるという事が言いたい。 会話を研究すれば、これだけストレートに、自然に表現できる。 なんとなく、『空の境界』を読んで、奈須きのこ拒食症になってしまったので、 会話ってのはこんなもんじゃねぇ、ってわけでこれを機にアップします。 あと、奈須きのこの文章は嫌いですが、 奈須きのこのストーリーとキャラクタと世界観は好きなので。一応。 >>6/20 その1 書評『ハチ公の最後の恋人』吉本ばなな1996 書評と銘打ってあるが、書評を書く気はないのでよろしく(オイ)。 好きな本は何かと問われれば、「TUGUMI」であると答える。とは言うもの、実際その本を読んだのは、記憶によれば中学三年の夏であり、確か高校受験の面接の時にもそう答えた記憶がある。なんと、青春期高校において俺の好きな本は変わっていないのだ。 だが、最近、何故吉本ばななの作品が好きなのか自己に問い合わせてみても、どうも回答を得ない。ただ、盲目的に好きなだけではないか。確かに最も種類を読んだ作家と問われれば吉本ばななと答える。それが好きに繋がるとは限らない。 第一、「TUGUMI」を読んだのは、中学の図書室で偶然巡り会っただけだ。中学生の青臭いガキに、到底作中の感情が理解できるとはおもわない。ただ、新鮮で、大人びていて、好きになったのだ。 中学時代の読書歴と言えば、全くライトノベルばかりで、他に読んだものと言えば、さくらももこのエッセイやら、中島みゆきのエッセイ(当時は中島みゆきが誰であるか知らなかった)やら。そういえば、「TUGUMI」と同時期に、山田詠美の「放課後のキイノート」にも出会っているな。 逸れたが、要するに奥行きのない小説ばかり読んでいた自分にとって、吉本ばななの作品は憧れる世界だったのだ。自分の世界ではない、人間の感情が入り交じった、交錯の世界。ちなみに、俺が『フレンズハンター』を書き始めたのはそのころであって、この話は親友が殺すべき敵である苦悩をテーマに書き始めた。そのような、嫉妬と愛情の世界に憧れていた結果だろう。 そして今、吉本ばななの作品を読むのは二年ぶりくらいかもしれないと思いながら、この本を読んだわけだ。本当に自分が吉本ばななが一番好きな作家であるのか、その見極めの意味もある。その結果は、間違っていなかったようだ。 この「ハチ公の最後の恋人」のテーマは“別れ”である。主人公とその恋人の男ハチが別れが決まっている状態で恋愛を続けるというもの。この微妙な感情こそ俺が吉本ばななに欲した感情であり、最後の別れのシーンなど今読み直してもグッとくるものがある(なんか表現が違う)。 トリックがなんだかんだではない、この人間臭さ。そんな人間が居ないと言われるかもしれないが、人間が持ち得る味を表現したのが吉本ばななの作品であると感じる。だから全世界で読まれているのも当然で、吉本ばななから読まれるのは日本語的描写でなく、感情を持った人間なのだ。 やはり俺が一番好きな作家は吉本ばななで間違いない。俺が書く小説の原点は読者を含めて感情だ。しかも、妬み、憎しみ、愛情の類の。うむむ、こう書くと世間一般にあふれている小説やら、ドラマのようで仕方がないな。まぁ、そういうことだ。 >>6/19 逃走!逃走!逃走! 2 要するに、6/11雑記『逃走!逃走!逃走!』の後始末を書きたいわけだ。BBSでありがたく声援を受け、精神的にも書かねばならない状況になったので書かせていただく。なるべく独りよがりにならないよう、人に読まれる事を心得て書きます。 逃げて相手に姿を見せないという行為、説明無しに忽然と消える行為、これらを推奨した私の文章を、「受け身としては無礼極まりない」と返されたわけだ。もし、以前の仲間を語るならば、内容自体に無意味でも、相手に少しでも反論できる場を設けるのが「最低限義理」であると。しかし、この雑記の仮定は、その説明すらできない場合であるとしていた。そのような事はないと言われても、そのような事態だとすればだ。それでも顔を出し、逃走宣言を敵顔前で叫び退出しろと言うのか。確かにそれも一つの手段であるとは思う。だが、その行動自体に価値を見いだせるかと問われれば、人それぞれだと答えかねないが、それではこの文章が意味を成さないので、無い事を証明しよう。 ここでは、前回最後辺りに扱った、過去の論破能力を持った男に逃走を促した話に帰着する。説明できない状況で、彼は……論破能力を持った、に矛盾を感じるな、そういえば彼は何を論破する気だったのだろう? まぁいい、自己正当化に関して喋る言葉の影響力が強かったという事にしよう。いくら影響力があろうとも、彼は自己の非を認めながら話してしまう、ゆえに納得させるまでにはいたらずに、はぐらかす事に専念していたわけだ。言えば、説明できないのだから、はぐらかすしかない。その状況は、お互いに無意味な話し合いのみが飛び交う事になる。どちらも引く気はなく、もちろんどちらが非であるかの真理は明白だ。ならば、この状況を打破するにはいかなる手段があろうか。非を認めていようと、認めるだけで相手の行動を受け入れる事はできない。相手があきらめてくれるまで待つ? そんな相手が悪いような思いをさせるよりは、私はそれよりはその場での罪を全て被る「逃走」という手段を勧める。証明終わり。だが、今回の私の状況が全てこれに類似しているとは言わない。ただ、説明できない、とする点は同じであろう。 次に、混乱を招いたらしい表現に注釈を入れる。まず、度重なり登場した「正義」と言う表現。これは客観における「正義」ではなく、主観における「良心」と表した方が良かったと思われる。まず、この文における「正義」の定義は、「自身を性悪から遠ざける心。かつ自身の性悪を嫌悪する心=呵責」といえば良いだろうか。こう記すと「正義」の意から離れているようで申し訳ないが、私は「正義」と言う言葉を常に主観的意味で考える癖がついているだけなのでご容赦願いたい。よく言う、絶対正義など存在せず、正義は当人の主観に基づいているという考えを尊重している結果だ。 次。敵に回す事に関して。関係性を絶つのであれば、自分が闘争という手段をとる事によって敵に回す事は無意味だ、というお言葉をいただいた。実際の所、私はサークル棟に行くたびに彼らとは出くわすわけで、要するに、すれ違いはするが今まで挨拶していたのが他人になると言う事だ。ここで私は彼らを無視すればいいのだろうか、ちなみに現在は会釈をして通り過ぎる事にしている、もしくは手を挙げて「ども~」くらいは言ったりしている。まだ、こっちを見てくださるだけ良い。全く、敵は「正義(良心の呵責)」であり、向こうから何か言ってくれた方が楽かもしれない。経験上、会わないからこそ呵責を強くすると言う場合もある。それは、相手の結果を知る事がないからだと思う。……これこそ悪い意味の"逃げ"であるな、この点に関しては私は反省せねばならないようだ。 次。これはひょんと飛び抜けたコメントであったが、今回私は逃げたわけだが、リスクを打破する事による救われる未来もあるのではと、受けた。とりあえず、この雑記自体がそれを前提にかかれていない、と逃げてみる。ただ、俺自身の今回の行動も、かなり偏見が含まれている事は認める。だが、その中に一度入ったからにはずっと居ろ、というのも酷だと感じる。すでに社会人である人から、大学のサークルは見つかるまで探せ、という話を信用するのもあって、そのためには脱出という手段は必要だったと考える。そこからでも価値を発見できる人間は良い。だからといってできない人間が居る事も忘れてはならない。しないだけだと言うべからず。そういう人間の方が世の中多いと考える。 最後に、結局の所私が取った行動について記し直す。まず、初めはメール、次に間接的に実文章を送りつけた、その内容は下記のようだ。演劇サークルからの脱退であることを記し直す。 1,以前話したが、そちらの演劇と私の持つ演劇に差異を感じていた 2,日曜日の件(ぼかしてある)で結局受け入れられないと確信に至った 3,深入りせぬうちに立ち去ろうと思った 4,そちらさんの演劇では、自分たちが演劇をする事ばかりで、 観客の姿が見えてこないのに憤りを感じた。 確かに自分でも、姿を現さずこのような措置を執るのは卑怯だと思う。卑怯だからその行動をとらないというわけではない、そこから良心の話になるわけだが。単に自分を生かすための手段としてこれをと執っただけにすぎない、と考える。あと、この記載は読者に納得を促すためではなく、事実として知っていただくために記す。ゆえに、これで再び私の行動を忌み嫌おうが私は構わない。ちゃんと受けよう。 ちなみにであるが、その後個人的にメールを送ってくださった一人の先輩に正直に話したところ、彼も在籍している演劇に不満を持っていた。理由は似たようなもので、彼はもう止めようとしたらしいが、タイミングを逃してまだ続けているようだ。本気で演劇をやってくれる人がいない、だと。 とりあえず、以上で閉めよう。今回のように自分の文章の後始末をしたのはこれが初めてで、かなり疲れた。だが、こうやって読んでくださり、反論してくださるのはとてもうれしい事であり、私の生き甲斐にも繋がる。ならば、これからはもう少し意味を伝える事に集中してみようと思う。偶然にも、実生活でもそれを学んでいる最中だったな。 了 >>6/16 普通の日記 明日は微積の試験パート2です。 2週連続テストってなんだよ。 しかも、1時間目化学、2時間目微積、3時間目無し、4時間目休講。 久しぶりにお買い物に行く計画を練りつつ、 あぁ、勉強せねば、こんなもの書いてないでさ。 塾講師のバイト始めました。労働時間長くて、給料安いです。 でも、内容充実です。だから、社会人として成長中です。 そのためにここで働きます。社長がスゴイです。 「生徒に、勉強を"教える"のではなく、"支える"のだ」 その違いを勉強中です。まだまだ道は長いですが。 >>6/13 刀心 実験的小説を書いてみる。 本当を言えば、『空の境界』を読んだ影響を大幅に受けているが、この案自体は以前からあったので執筆に踏み切る事にする。 とりあえず、俺はこの先頭の書き方がおもしろいのか判らない。自分でもつまらないものに感じているのかもしれない。だが、きっと今まで無かった書き方なのではと思う。非現実的であるからか、その状態はまさにゲームに近いものがある。しかし、ゲームの大部分を概念化していけばここにたどり着くのではないか、とも考える。 これでも原稿10枚分以上あるので、暇な方が読んでいただける程度であればうれしい。 それで、掲示板で一言、つまらん、面白いと一言いただければ、かなりの励みになる。 ------------------------------
刀心 -カタナゴコロ- 刀を極めた者が言った。 無心になることは本当の強さなのかと。 人間が刀を持つとき、人間を捨て、人を斬る機関になれ。それこそが最も優れた侍なり。そう彼は聞いていた。そしてそれは誰もが実現できぬ方法なのだとも。 しかし彼は鍛錬の末、それをやってのけた。刀に手を添える、その次に見るのは人が斬られ倒れた姿であった。その間の記憶は忽然と無い。そう、彼は観測すらしない機関とかったのだ。 ならば、と彼は思う。彼が負けたとき、彼は負けたことにさえ気づかぬまま、機関のまま死ぬのではないか。それが今更彼にとっての恐怖というわけではない。ただ、自分が無性に惨めに思えただけなのだ。自分が人間であるのかさえ自覚できない、これが本当の強さなのかと。 そして彼は旅に出る。住み慣れた地を離れ、守るべきものも放棄し、ただ彼は人を斬るためだけに旅に出た。多くの大名が臣下に引き入れようとしたが、返り討ちに遭うばかりで、彼は振り向きもしなかった。彼は返り討ちにしたことすら覚えていないことも多くなった。彼のすべては、鍛錬と、刀を握ることの二つ。斬ることは彼の機関の仕事だった。 それでも彼は刀を握る続けた。それ以外に彼には生きるすべがなかったのだ。彼に殺せない者は己のみ、そういう旅を彼は続けた。 そこに一人の侍が現れた。その異様さに彼は驚きを隠せない。その侍は彼と相反する能力を得ていた。そう、男は刀を握る時より人間が増す。感情深い生き物になる。その侍の出現に、彼の疑問はさらに強くなった。頃合いを見て、彼はその侍に勝負を挑む。 彼に必要なことは、その侍に名乗り、そして刀を握ることだけだった。あとは機関がすべてやってくれる。 彼は気づいた。すなわち、勝負が終わった後。彼は何年かぶりに筋肉以外の痛みを覚えた。彼の傍らに、その侍は立っていた。彼は負けたことよりも、その侍が殺さなかった慈悲を恨む。問う、何故私を殺さなかったのかと。侍は答える、慈悲だ、と。 彼はそれ、すなわち人間を捨てたから強さを得たはず。しかし、侍は彼が出会った人間の中で誰よりも大きな人間だった。それが強さなのか。 侍は彼に言った。侍も一つ間違えれば彼のようになっていたと、しかし刀は動物の武器ではなく人間の武器だ。だから人間であることを極めれば、自然と刀は強くなると。 彼は死ぬまでそれを理解できなかった。だが、その役目は彼の子孫に託された。 汗ばむ程に暑い夜のことだった。 高層ビル屋上には二人の男。下界とは違い、暑さも知らぬ風がびゅうびゅうと吹き続けている。二人とも抜刀していた。 その一人は二十代前半の青年だった。幼さの残る顔が、彼の着る紳士スーツと妙に合わない。刀を下段に構え、じっと相手をにらみ続ける。 相手は山男のように大きな男だった。大仰なひげを蓄え、さらに彫りが深い顔立ち。このコンクリートの世界には場違いなほど、野生という言葉が似合う男だった。彼は体格に合わせたかのように大きな刀を、上段に構えている。 そして、二人とも動かない。相手を睨みつけるのみ。 月夜に照らされて、微かにできる二人のシルエット。ここには地上からの光はほとんど届かない。このビルより高いビルは他にはないのだ。 そのまま、どのくらいの時間が過ぎただろうか。二人ともその姿勢のまま、優に三時間は経過している。一寸も動かさぬ筋肉はどちらも悲鳴を上げ始めているはずだ。しかし、彼らの刀の勝負は時間ではない。確実にしとめること、そしてしとめる確証ができるまでこの静かな戦いを続けること、それが彼らの刀の試合であった。 戦いは物音もなく続いている。体は全く動かぬと言うのに、汗ばかりが地面にしたたる。そんなものを見る余裕は彼らにはない。一瞬でも気がそれたとき、それは相手の可能性を増やすだけにすぎない。負ける可能性は増やさないことに越したことはない。そして、確実に勝てる可能性を彼らは探っているのだ。 この二人の男は知らぬ仲という訳ではない。言ってしまえば、このビルに入っている会社の上司と部下なのであるが、刀を前にそれは無価値だ。しかし、相手を知っているからこそ、この勝負は永いのだ。 相手を知っていると言うことは相手の持つ可能性の数を知っていると言うこと。お互いに知る仲であればあるほど、相手の可能性は見えてくる。自分の持つ下手な可能性を行使すれば、相手はその可能性を知っているからそれに答えて反撃される。だから、今二人は可能性を組み立てている最中なのだ。 周りには二人は停止している様にしか写らない、しかし事実は微かに動いている。それが少しずつ可能性を左右する。相手の可能性を殺し、自分の可能性を強くする。その繰り返しが今行われているのだ。 動いた。二人は申し合わせたかのように同時に動いた。青年は山男の可能性をすべて読んでいた。青年にとって、山男の可能性のブレを修正し、自分の可能性を行使するだけ。 山男が放つ一線を、青年はしゃがむ事で避ける。もうすべての可能性は青年のものだ。後は線の先を追う要領で右に飛び、左に飛び、山男の放つ刀を避ける。今のところ可能性に狂いは無い。一歩下がり、また避ける。山男は、自分が負ける可能性を青年が引き当てた事ぐらい判っている。その可能性のギリギリのラインで山男は逸らそうと、刀を振るう。 可能性が枝分かれした先、勝利をもたらす可能性を青年は三つ得ていた。今山男の手により、一つの可能性が削られる。もとから青年はその可能性を目指してはいない。青年は刀を振るう、これを避けるために山男は一歩退去する。しかしその姿勢こそが山男の重心を狂わせ、青年が用意した可能性につなげるルートであることに、山男は事の事前に理解したが、逆らう事はできなかった。 ここで青年を狂わす現象が起こる。青年の汗のせいでできた水たまりに、彼は片足を踏み入れた。二人は、急遽再計算を行う、それも一瞬の。ここは時間の勝負。青年はどうやって先の可能性に繋げるか、山男はどうやってその可能性を逸らせるか。山男は時間のために計算を簡略化した。だから動き出すのは山男が一刹那先だった。刀は青年の胸を突くように進む。避けるのは簡単だが、青年は可能性を失った。それどころか、青年は山男の持つ可能性を見つけてしまったのだ。 運気は山男に向いているように思われる。しかし青年は知っている。上司は深い計画は練らない。あくまで大本の太い可能性を道に敷き、その可能性を彫刻のように削り完成させる。だから決め手となる手までにはしばらく時間がかかる。追いつめられていくのは確かだが、そのぶん不確定要素も起こりやすい。 青年はどちらかといえば、最後まで完成したルートを作り、それができてから行動を開始する。そのルートが短いか長いかは問わない。ただ保守的にそのルートを守り続けて勝利を勝ち取る。だが、その可能性を失えば青年に手はない。再びそのルートに戻らなければ、まず青年は勝てない。 それは山男は知っている。大胆に攻める山男にとって、無用な可能性をばらまく自分の戦法は青年には通用しないと知っているが、今の青年はかなり追いつめられている。山男の強みは、可能性の削られ方は荒いが、ただし必ず削り続ける点にある。だんだんと細くなっていく可能性が判れば、それは相手にとってひどい恐怖となり、混乱を起こさせ、そして自分から可能性を絶ってしまう。 そして青年には焦りが見えていた。何撃目かのふるわれる大振りの刀。斬る事ではなく追いつめる事を目的とするこれらの斬撃は、相手にカウンターを誘い、逆にそれこそが相手を追いつめる。 青年は可能性を探り続ける。事前に流布したルートの数は八つ。今はそれのどれからも離れている。山男が可能性を削り、一つの完成に仕上げるならば、青年は事前に用意した可能性に繋げるルートを作る。しかし削られるばかりの現在では打破する手段が見つからない、確実に追いつめられていく。 振るわれる刀を避けるのは可能性が見えていればそう難しい事ではない。難しくなるのは、把握している可能性から外れた、常識外の行動をする事だ。それは通常切り札と呼ばれる。旧知の仲ではそれは少ない。だが、単純な事に青年は気づいた。山男の左靴の靴ひもが外れていたのだ。それに山男は気づいていない。 青年はルートを組み立てる。山男には予測不可能な事象を含んだルートを。 山男が振るう、剣のような叩きつくす斬撃をステップで避け続ける。そして、一歩間合いを踏み出せる事象にたどり着いたとき、相手の予測を超えた行動を伴う。相手にしてみれば、一瞬にして修正可能な無意味は行動、しかし靴紐を踏むという単純な事象は理解の範疇にない。山男の理論上、可能性に変化はないはずだった、重心は乱れ、倒れ込もうとしているのに気づくのは一瞬だったが、それも遅かった。 山男の可能性は一瞬にして消え、青年に可能性は開ける。重心が乱れたまま青年の斬撃を刀身で受ければ、取り返しがつかないほどに重心が乱れる。その状態で避けられる可能性は山男には見あたらなかった。 「……まいった」 山男は呻くように言った。そして青年の動きも止まる。山男は半歩下がる。それだけで重心の乱れは押さえられるのに、それだけの差は極限の可能性においては膨大になる。 因果律の果ての刀の試合。相手が持つ可能性を、精神の世界から、物理の世界から、絶つ。それがカタナゴコロ、現代の刀の試合であった。 >>6/11その2 フリーのファイアーウォールソフト、Zone Alarmが日本語対応?! いやはや、ハードディスクが消えたので、もう一度ZoneAlarmを落としてこようと思ったのだが。ダウンロードページに日本国旗が表示されていて驚いた。ここで、使い方解説するまでもなかったじゃん。 ちなみにZoneAlarmとは、有名なフリーのファイアーウォールソフト。形式としては、インターネットに開かれているポート(出入り口)を一度ZoneAlarmがすべてシャットダウンしちゃって、プログラムごとに入り口を開いてよいか禁止するか指定する、というソフトだ。わかりやすく言うなら、今までは外の世界への入り口には出入りし放題だったのに、すべてに検問所を取り付けて、一個一個に交通許可を出しているようなものだと思ってもらえればいい。 一個一個に交通許可を出す必要があるので、その点は億劫だが、一個一個全部調べれば安心感があるというものだ。いつインストールしたか記憶にないプログラムからアクセス許可の申請が出てきてびっくりしたこともちらほら。 あとはすべて遮断する、なんて機能もありました。 日本語版があるのでさして書くこともないだろう。 ではダウンロード&インストール方法を載せます。 1,開発元ZoneLabelのページへhttp://www.zonelabs.com/ 2,左のメニューの「Download&Buy」をクリック。 3,右側に製品一覧のような所があるので、「ZoneAlarm」をクリック。 (「ZoneAlarm Pro」とか「ZoneAlarm Security Suite」など余分なものがないやつね) 4,日本語版という文字をクリック。ダウンロードが始まります。 インストールはほとんどが日本語なので問題は指してないと思うのですが、「使用許諾契約書」が「ZoneAlarm Pro」となっていますが、ここではそれは気にせずに進みます。ただし、あとから「ZoneAlarm Pro」か「ZoneAlarm」かを選ぶところが出てきますが、フリーで使わせて頂くだけのつもりなら「ZoneAlarm」を選んでください。チェックマークいっぱいだからって、フリーで使わせていただけるのはチェックマークが一つしかない「ZoneAlarm」だけですから、そこはこらえて。 あとは、このスフとの内容を知るためにも、チュートリアルにつきあってあげてください。 ちなみに、このソフト、それなりに重いですから覚悟してください。 使い方は基本的に常駐型で、どんな些細なプログラムでもネットに接続しようもんなら「このプログラムが接続しようとしています! どうしますか?」と逐一、ホント逐一尋ねられます。知っていて信用できるプログラムでしたら、「はい」にしてあげましょう。訳のわからないプログラムでしたら、私はとりあえず「いいえ」にして、後で不都合がでるようでしたら、再起動して「はい」にし直します。 この許可、不許可は再起動するまで続くらしい(…解除方法が判りません)です。ずっと許可、不許可にしておきたい場合は、この設定を維持にチェックを入れればもう設定の必要はなくなります。あとで再設定もできます。 意外とこのソフトは往生際がよいので、俺は好きで使っています。 >>6/11 逃走!逃走!逃走! 逃げる、それは責任を放棄して登場しなくなること。 要するに俺は、演劇がしたくなくなったのだ。かつて高校時代に感じた熱道を今の演劇には感じることができない。ならば私がこの演劇という場に身を置く理由は皆無だ。もとい、そこまで演劇が好きというわけではない。あれは表現手段の一つの境地であって、それを垣間見てしまった今では高校時代のように無鉄砲に演劇を求めたりはしない。 演劇が好き?と聞かれれば、俺は好きと答えてしまう事と、演劇好き好き?と聞かれれば、いんや、それほどでも、と答えてしまう。その段階は終わった、演劇という表現をもう見慣れてしまったのだから、次の段階は何だろう? 単純にスンバラシイ演劇を見るやる感じることになる? 違う、表現の上級手段として俺が満足できる演劇が見たい作りたい感じたいのだ。それが無ければ大学でも演劇を続ける意味は皆無なり。 というわけで、俺が大学で演劇をしない理由の証明終わり。さて、ハレテこれで演劇から身を引くことができるのだが、いかんせん俺は演劇に属してしまっていたのだ、がははははは。そして見切りをつけてしまった今、そこに居残る価値があるかと考えればそんな者はないことは立証済み。では、どうやって離れるかである。 無論、逃げるしかないだろう。 すでにその演劇の中ではキーパーソンとなってしまった今、要するに責任放棄と押しつけをしなければならないのだが、そんなことが答弁でかなう環境ではあるまい。は~い、やめま~す、など宣言してニコニコされるほど、リスクを背負わない方法はないであろう。俺に非があることは100%間違いないのも100%承知だ。 ならば次なる論証は、俺が逃げる権利を勝ち得ることだ。簡単にしてしまうと、俺と演劇ズの価値観が違うということだ。俺は演劇としてこのレベルでは満足しない、楽しくない。そんな者のためにがんばる義理はない。演劇ズはもっと演劇が高い位置にあることは知っている。俺の今やっているような行為は演劇ズの選択肢にはないだろう。 そう、肯定側と否定側の意見対立は常に価値観の違いだ。何に重きを置くか、それだけの違いにしか見えない。しかし、ここで大層重たいオモリがあるのを俺は知っている。それは「正義」という聞き慣れないオモリだ。裏切り行為は「正義」がもっとも嫌いとする行為ではなかったか。「正義」に引っ張られている限り、俺は逃走できないではないか。そこ、単なる「正義」だと思う事なかれ。「正義」ほど矮小なクセに見にズシリとくるものは、あとは女の鳴き声しか俺は知らないぞ。 俺はとある経験から、「正義」の重さを知ってしまった気がする。もといはマジメ君だったので、その劇的変化は今思えば凄まじい。要するに「正義」を自分の力でコントロールできるようになってきたのだ。これを説明するのは難しいのでやめる。 逃走権利の立証をあやふやだが終了する。では、後は逃げるのみ。逃げるのに一番大切なことは姿を見せないことだと思う。いや、当たり前じゃん、とかいわないでね。逃げる身では相手を説得するのはダメなことは俺は知っている。どんなに説得する能力を有していてもだ。結局は泥沼になって、「正義」に負けてしまう可能性だって増えてくる。とにかく「敵」になる事を覚悟しなければ逃げることはできないということだ。 今回俺が用いた手段は、まず部長に馬鹿丁寧なコトバでメールを送信する。馬鹿丁寧なコトバは相手をオチョクルのには良い。そこには意味不明な説得力と行動力が伴うからだ。これで敵対宣言は完了。もちろん向こうは理由を聞かせてくれとメールを返してくる。理由なんて話すわけがない、理由は「敵」にとっては有利に働く試しを俺は見たことがない。だから会わないし、とりあえず最低限の義理でメールの返事くらいはする。もちろんその内容も逃走宣言だ。そして翌日の朝早くにしまっている部室の扉の前に台本と舞台図を置いて、と。これで俺の手元に残るのは経験と携帯のメモリーだけだ。 「敵」にとってつらいのは今からだ。俺の非は確実、非を背負いながら歩くのは結構つらい、でもそれしかない。メールで一人が会おうと誘う。もちろん無理矢理入れたりしない、だの、もう考えは変わらないだろう、だの、こちらに有利な情報を載っけて。それに乗ってやって楽しめるほど俺は利口じゃないし、素直に聞いてやるほど馬鹿でもない。だから、逃走宣言だけを返信する。すると、相手のメールは2、3で止む。逃走された向こうは怒りの骨頂だろうが、俺はそういう人間だ。 逃げることを悪いと思わない俺は、「悪者」かね? まぁ、世間一般から見れば俺は逃げたわけだから悪者だね。逃げなければ新しい道は開けない。常に可能性を掴むと、その可能性ってやつは侵略してきて、俺から新しい可能性ってやつを奪ってしまう。今もそのような感じだ。だから俺は可能性を正しく天秤にかけるコツを掴まなくてはならない。 いやはや、そういうコツを掴んでおくと人生が楽しくて仕方がない。運気は俺の方に向かっているのだから、あとはその運気を選んでやるだけ。こんな楽しい人生ありますか? とにかく、俺が言いたいのは、みなさん逃げることに積極的になりましょう、ということだ。すんごく悪いことを宣伝しているみたいだけど。 もう一つ話をすると、過去に論破能力を持った友人男が仲間から追いつめられたことがある。もちろんこのケースの非は男にある。俺はその仲間側の人間だったのだが、逐一論破を振りかざす男にうんざりしてきたのは今でも覚えている。単純なことだ、男は論破することによってリスクを背負わずにいようとしたのである。男にとって「正義」というオモリは相当重かったようだ。そのときに俺は男に逃げる事を教えた。そのオモリはお前でも引きずっていけるだろ、と言ったのだ。そして男は逃げ出した。そして彼は今それでとても幸せのようだ。 おさらい。敵を作ることをおそれず、自分が悪く思えるのにも耐え、逃げる事を覚えろ。そうすりゃ将来明るいぞ。 >>6/10 普通の日記 えっと、金沢に来てからの雑記の総文章量が 一太郎にコピペ、簡易用紙変更、原稿用紙で計算すると、 原稿用紙321枚分に達しました。ぱちぱち。 (付記、後から計算仕直したところ、半分の160枚でした。ごめんなさい) なんだか、これを計算するのが楽しくなってきました。いつ千に到達するやら。 それと、趣向で一時的に、ホームページを白くします。 トップページだけですが、どれだけ印象が変わるのかテストしてみます。 というのも、自分が、黒バックに白、より、白バックに黒、 が好きな性格になっていったからでしょう。 >>6/9 普通の日記 バイトを始めて1週間。 一日で学校の授業時間以外はほとんどバイトのことで頭がいっぱいだったりする。 やっぱり、客商売って大変ですね……。アッパレ。 精神健康上、明らかに悪いのだが、バイトを今まで経験してこなかった俺も俺だから。 仕方なし。 本を読んでいても、ゲームしてても、寝ていても、日記を書いていても、 このモヤモヤは消えてくれない。 しかし、ぶーたれていても、今日は休みだけど、明日はバイト(研修中)だし、 かつ、微積(数学)のテストだし、なんかしなくちゃな。 そう、 VisualStudio.NET、結局購入しました。 使い方判らん、さっぱり、、、VC++の解説書はまた結構なお値段するし。 時間がないので、しばらくオアズケにします。 どうも、書き出すと止まらない癖がある。ので、今日はここで打ち切り。 >>6/7 先日記事の但し書き 先日、6/6の記事において。 Vine LinuxのインストールによるHDの消失は単なる私のミスです。 正しくVine Linuxのインストールを行えば、正しくインストールされます。 それに、Vine Linuxのインストールは日本語で行えます。 もし、かのような状態であっても、 実は、WindowsXPのインストールディスクを使えば復帰できますし、 (WindowsXPのディスクには起動させる機能があるそうです) HDの消失は起こりません。 ただ、Windowsに加えてLinuxをインストールする際には、 手練れでなければ、最低限のバックアップはとっておくことをおすすめします。 >>6/6 ぶっちゃけ、ハードディスク消失!! 始まりは、VisualStudio.NETを購入しようとしたことから。 私も情報学科の学生ですから、コンパイルツール(プログラムを作るツール)が ほしかったわけですよ。 ちょろっと、VisualStudio.NETのサイトを見てみると、 ステップアップ.NET!!キャンペーン VisualStudio6.0、Basic6.0、C++6.0、J++6.0、を持っている人のための激安セール! なぬ、普通は12万するツールが3万5千ですとぉ。 ちょっと、驚くくらいやすいじゃないですか!! AcademicPackageだと、2万8千とさらに安いのですが、 やはり将来商業的利用を考えると、普通のパッケージの方が……。 しかも私の手元には、勝手も使っていないVisualBasic6.0Professionalが。 買わなきゃ損!って感じで、購入をもくろんだ。 ちょっと待てよ、本当にこれは使うのか? 実は、実際の現場ってやつじゃこんなの使わなくて、 ただのお高いソフトになっちまうんじゃないか。 そう訝しげに思って、大学の教官にメールで相談しました。 「自腹で買おうなんてよい心がけじゃないですか」 やっぱり、そうでしょ、僕買っちゃうよ、んで、研究しちゃうよ。 ってな気分で、買う気満々になったわけです。 その教官からのメールの中にちょろっと一言、 「Linuxのgccも考えてみてはどうですか」 なぬ、Windowsでもなく、Linuxと? gccなんて聞いたことがない! 調べる調べる調べる。 Linux自体、無料で使えて、gccも無料で使えるコンパイラ?(オープンソース?) 無料かぁ、やってみよか。 ……悲劇が始まった。 とりあえず、初心者向きという、Vine Linuxというものを見つけてくる。 ふーん、本当にタダでも使えるんだ。へ~。 ISOイメージをダウンロードしてCDに書き込み、じゃ、インストールしてみるか。 ここでいけなかったのが、 この最近、自分はバックアップ(予備)をとろうと、ハードディスク中に散らばっている、 バックアップする必要があるファイル(メールとか、書類とか)を一カ所に集めていた。 あくまで、バックアップする"途中"であって、まだバックアップしていなかったのだ。 まぁ、判ると思いますが、覚えておいてください。 んじゃ、インストール、開始。ぽちっとな。 順調にインストール。てか、1時間半もかかりすぎ。 XPのインストールより長いじゃん。 まぁ、それはいいとして。 次に、アクセスするためのパスワードを入力するのだな。 バイト先の上司に貸していただいた本のタイトルを、入力。 ふむ、WindowsとLinuxの二つのOSが混在することになるから、 LiloっていうOS選択プログラムをインストールするのだな、よしきた。 起動ディスクを作りましょう? えっ、ごめんなさい、FDドライブが壊れてるので、パス。 んじゃ、完了。 再起動。 で、LiloのOS選択画面が出てくると、 OS「1,Linux」「2,Linux2.2」以上。 っ、待て、WindowsXPはどこいった!? ふむ、Liloの設定はLinux上でできるのだな、そうだな。 ユーザーログイン、パスワード入力っと、 パスワードが違います! なぬ。 どないせい、っちゅうねん。 とにかく思った。 このLinuxをインストールしたハードディスクは3つに区切られていて、 1、WindowsXPシステム 2、データファイル 3、Vine Linux その(2)の中に、さっきの「バックアップ途中で集めた大事なファイル達」がある。 とにかく、(2)さえ救えれば、俺はかまわない!! で幾たびかの格闘の末、強硬手段にでたわけです。 Windowsは立ち上がらない、Linuxは立ち上がらない、ならば、 実は、うちのHDは二台ありまして、その一台が使い物にならないなら、 もう一台の方にWindowsXPをインストール仕直して、そこから、 (2)のパーティションをマウントしてしまおうと。 実行。 まず、ハードディスクのプライマリとセカンダリをつなぎ換える。 (こうすることで、起動時に読み込むハードディスクが変わる) FDISKして、フォーマットして、WindowsXP再インストール(二時間)、 (もっとよい方法があるのだろうが、基本的98ユーザの私は知らない) さぁ、でてこい「バックアップの途中」のファイル達よ!! あれ、認識しない。 何故何故何故何故???? 調べてみる。 えっと、WindowsXPではHDのフォーマットにおいて、 NTFPというのを採用しているようで、 それはどうやら、書き込むときに書き込んだユーザ名も記録している。 故に、前のWindowsXPのユーザでなければアクセスできない。 よって無理……。ノォォォォ。 しかも、プライマリとセカンダリのつなぎ換えのせいか、 FDISKでもその部分を認識しなくなった。消えた!! で、財力もたいしたことない私は、そのファイルを結局あきらめたとさ。 その後、どうしてもWindowsとLinuxを共存させようと、 FDISK、フォーマット、Windowsインストール、Linuxインストールを幾たびも繰り返す。 FDドライブも炎天下の中、山一つ超えて買いに行く。 なんか、一個だめ、じゃあ、次これでどうだ、今度はBIOSの設定ミス、てんやわんや。 インストールやらフォーマットやら、めちゃくちゃ長くて暇だから、時間ばかり経つ。 で、 結局あきらめました。 もう一度くらい、Linuxインストールやってみますけどね。 翌日の記事より 先日、6/6の記事において。 Vine LinuxのインストールによるHDの消失は単なる私のミスです。 正しくVine Linuxのインストールを行えば、正しくインストールされます。 それに、Vine Linuxのインストールは日本語で行えます。 もし、かのような状態であっても、 実は、WindowsXPのインストールディスクを使えば復帰できますし、 (WindowsXPのディスクには起動させる機能があるそうです) HDの消失は起こりません。 ただ、Windowsに加えてLinuxをインストールする際には、 手練れでなければ、最低限のバックアップはとっておくことをおすすめします。 >>6/3 普通の日記 今頃ツケが回ってきた。PCで。 二号機を作るときに、前ハードディスクをフォーマットせずに、 新しく導入したハードディスクをマスターにしてそこにXPをインストールした。 (PC起動時に新しいハードディスクを読み込むように設定した) そのせいで、Windows98のシステムやらインストールしたプログラムは依然として残っている。しかもそのまま利用してしまっている。 何が問題かというと、ハードディスクにバラバラにインストールしたもんで、 どこに何をしまってあるか、不明、かつ動かないものもある。 まず、 c:、e:、f:、g:、i:とハードディスク二個分を五つに区切る必要がまるでない。 そこにテキトーにインストールしたもんだから、どこに何が入っているか覚えちゃいない。 で、今回Linuxの導入を企んでいるのもあって、 それを機に、一度フォーマット&インストールしてしまおうと思っている。 そのために、バックアップ取るべきファイルを選別中ナリ。 でも、明日英語Bのリスニング付きテストだし。 物理学のレポート明日までだし。しかも手書きじゃないと駄目だし。 もうパソコンに入力したのを手で書き直す作業って馬鹿らしい……。 あがぁ、時間がない!! 明日は明日でバイトの面接パート2だし!! 日曜日に、フォーマット&再インストール&Linux導入やるぞ! |