カガクシャ


 全世界の人間の脳がネットワークに繋がった。全世界の人がどう考えるか、手に取るように分かるシステム。しかし、人間の意志を変えることは機械にはできなかった。

 ついに計算が始まった。
 簡単に言えば人類滅亡への残り時間の計算。人間の意志がこのままである限り、資源は尽き、混沌の世が始まり、滅亡する。そんな推測はこの世の科学者の通説論であった。そして、その期日が何時なのか、興味本位に見てみたい。一人の科学者がついに実行に移したのだ。

 出た。残り時間は……、目を疑う。一年すら無かった。
 おかしい、カオス*1すら範囲に入れたはずだ。莫大なソース*2をデバッガ*3にかける。誤りは見あたらない、当たり前だ、このソースを組んだのは彼だ。再計算を行う、全世界の脳だがデータ収集は差だけだから一瞬だ*4。一週間の計算。差だけでよいものをゼロから再計算させた*5。この間、死刑台に立たされたような心持ちであった。
 出た。結果は分かっていた。さらに五分減っていた。科学者は自分だけ知った、この現実に酔うことしかできなかった。

 頭が働かなくなるからと、止めていた酒を呷る。美味しくもない。同僚が隣に座る。愚痴を言いたくて呼び出したのだ。
 誰にもできなかった計算をついにやったんだ*6、同僚はほめてくれた。俺達にできることは何も無い、同僚はそう言った。それが彼が何故か思い当たらなかった一つのフレーズである*7ことに彼は気づいてしまった。方法は無い、筈が無い。彼は飛び出した。翌日同僚が自殺したと聞くことすらなかった。

 人間の脳=意志を変えるにはどうすればよいのか。彼は科学者らしく、計算の方法から解決を臨むことにした*8。値としては、学業成績、エネルギー理解*9から、利己心、奉仕欲*9、さらには貧富、環境*11……一万もの情報を収集し*12、人間の意志がこのまま永続すればこの時間になる。そんな計算だったはずだ。

 科学者は哲学者*13のもとに走った。彼の仕事は計算であり、彼の範疇ではないと気づいたのだ。それは正解だったが、説得は難しかった。誰も知り得ぬ筈の値*14を相手に理解させる。いくら友人であっても無理があった。最終的に、友人は信じた。
 それで留まる訳にもいかず、知り得るあらゆる手段を講じた。彼は完全に値に縛られていた*15。

 疲れ果てた彼は研究所に戻った。彼に希望の色は無かった。自分の死期を確かめるために残り時間を見る。残り時間は伸びていく*16。彼は人類を生き長らえさせたのだった*17。


〜〜カガクシャ 脚注〜〜
一度読み終えてから後で読むことをお勧めします。
*1カオス——ギリシャ語で「混沌」という意味。実は物理用語であり、一般的な事象であっても条件がわずかに違うだけで大きく結果に差が出ることを示す。また、流動的に同じ事象が続くはずなのに違う現象が起こること。例を挙げれば、同じ蛇口から水を流し続けているはずなのに、ふと水の流れが曲がる、など。
*2ソース——プログラムの記述のこと。
*3デバッガ——ソースに誤りがないか確かめるツールのこと。普通はプログラムを動かす前に行う。
*4データ収集は差だけだから一瞬だ——コンピュータ情報収集において、再び最初から全て調べるのは無駄とされる。前回との情報と違い(差)のみを収集し、その部分だけ書き換える。この時代の技術では全世界の脳であってもリアルタイムでの更新が可能とされる。
*5差だけでよいものをゼロから再計算させた——(*4)参照、計算に置いても同様。ここでは計算もリアルタイムでできます。
*6誰にもできなかった計算をついにやったんだ——可能ではあったが、かなり面倒であり、実際結果は分かっているようなものであり、さらには自分の死期を知るようなものであるので、誰も恐れてできなかった、と同僚は言っている。
*7それが彼が何故か思い当たらなかった一つのフレーズである——彼は科学者として純粋に残り時間に興味があったのであって、人類規模の死期を確認してからはその思考に考えに行き着かなかった。通常は思い当たるが、人類規模となるとその波に自分が巻き込まれると考えてしまう。
*8計算の方法から解決を臨むことにした——計算するにはその計算をする情報(値)が必要。科学者はその情報の在処を探り、それを対処しようとしたわけだ。この場合、情報は当然ながら全世界の脳である。
*9学業成績、エネルギー理解——エネルギーが少ないと感じなければエネルギーを大切にしようと思うきっかけすら生まれない。そう思えるだけの思考力は学業成績であり、少ないと感じるのはエネルギーをよく理解しているからである。
*10利己心、奉仕欲——エネルギーが無くなると理解していても、自分だけがよいと考えれば節約する気なんて無くなってしまう。それが利己心。将来のために残そうと考えられるかどうか。それも奉仕欲。
*11貧富、環境——世の中には、お金持ちはお金持ちらしい生活をしなければならない、という法則もあるようです。人間はなにかと周りに左右されやすい生き物です。
*12一万もの情報を収集し——この集めた値が、結局の所、彼の価値観でしかないのに彼は気づいていない。まぁ、知り合いの哲学屋など大勢の人に相談したけどね。
*13哲学者——科学が一般の人間の考えられる価値・思考の範疇を越えると、その行為でさえも専門家の仕事になってしまう。科学とともに哲学・倫理学も発達しなければならないのに、現実は科学ばかりが先走りしてしまいます。
*14誰も知り得ぬ筈の値——残り時間は所詮科学者の論理値(思い込み)であり、現実と適合するとは誰も思わない。
*15彼は完全に値に縛られていた——彼はその値が正しいと信じ切ってしまっていた。自分が算出した値に裏切られては、科学者は自分の存在価値を見失ってしまう。
*16残り時間は伸びていく——リアルタイムで計算しているので、残り時間が随時変化している。誤字に思えるかもしれないが、科学者は人類規模で考えており、恐竜の反映の期間などと並べて、人類繁栄の期間は一定で決まっているとしている。その期間の幅が“伸びていく”。ゆえにこの字で正しい。
*17彼は人類を生き長らえさせたのだった——この値が本当に正確ならの話だが。しかし、世界中の人間をデータベースにしているにもかかわらず、値を改善できたのだから、やはり彼は偉業を成したのであろう。

あとがき。

ごめんなさい。まず、謝らせてください。
いつものように、千字小説投稿作。ですが、脚注は千字超えております。
テーマは、とにかく気持ちの悪い小説が書きたかった。
イレギュラー性だけを追求した作品、だから作品評価が低かったり、バッシングに遭うのも判っておりました。
やっぱり、ごめんなさい。
ただ、テーマ性は深い、わけないだろ、よくあるSFのテーマ詰め込んでみただけだい。

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