フレンズハンター


第二章 交錯

   四

 あたしとトールブルーが教室に入ると、しんと暗い空間がそこにはあった。
 誰もしゃべろうとしない。しゃべっていても、笑い声は上がらなかった。
 みんな、朝のニュースを見たんだ。もちろんあたしも見た。
 その真実、あたしの後ろの席に拓也はいなかった。遅刻常習犯の拓也のこと。普段のあたしなら気にならないことなのに。
 拓也の代わりのように置かれている、『異物』があった。
 一輪の、白い百合の花。
 そう。あたしは昨日、トールブルーも加わって、拓也を『殺しに』行った。しかし仕留め逃したはずだった。
 だから、まだ拓也は生きている。今度会ったら、本当に殺してやろう。そう思って、昨日は家に帰った。
 しかし今朝の地方ニュースはこう告げていた。
『…区在住の公務員、睦月雅さん、四十七歳とその妻洋子さん、四十五歳、息子、拓也くん、十四歳が自宅内にて、死亡しました。警察の見解では、夫の雅さんの多額の借金による無理心中と見られており…』
「今日、拓也の葬式なんだって」
「拓也、どうしたんだよ」
「私、まだ信じられない。ウソよ。ウソ」
 そんな声が飛び交う。
 あたしはそのおしゃべりに混ざることはできなかった。適当に返事して、離れた。そうすると、みんなあたしが拓也もいたグループだと知っているから、特に仲が良かったと知っているから、それ以上話しかけてこない。
 突如、教室の戸が乱暴に開かれた。その大きな音に誰もが静まる。
 リーちょん。
 しんとした教室に、リーちょんの足音だけが響く。拓也とリーちょんがいい仲であることは、みんな知っているし、みんな認めていた。
 そんなリーちょんの様子を誰もが見ていた。
 リーちょんが乱暴に椅子をひき、座った。そこは拓也の席だった。
「なんで。なんで拓也が…」
 リーちょんのくぐもった声。
 突如、リーちょんが百合の花の花瓶を手で乱暴に払い落とす。がしゃんと大きな音を立て、ガラスの破片はリーちょんの足に赤いラインを引いた。
 顔をしかめ、きっと痛いのだろうけど、その表情は涙に流された。
 しばらく、リーちょんの静かな泣き声が教室中を支配する。
 チャイムも鳴っていないのに、黒木Tが教室に入ってくる。いつもの軽いシャツ姿でなく、真っ黒なスーツをびしっと着こなしている。
 そして極力事務的に、しかし黒木Tの感情が明らかに入って、告げた。
「みな、知っていると思うが、睦月拓也が昨日の夜、亡くなった。そのため今日の授業を中止して、拓也の……」
 ここで、黒木Tは全員の顔を見るように眺めた。泣いている友達も少なくない。誰もの表情が辛そうだった。
 でもあたしとトールブルーの表情は別に意味での『辛い』だった。
 トールブルーは拓也が死んだのはすべて自分の責任だといわんばかりの表情をしている。きっと、あたしもそんな表情をしているんだろうな。
 後ろめたいのは拓也に対してじゃなくて、クラスのみんな、リーちょんに対してなんだ。
「拓也の葬式に出席することになった。すぐに外に出なさい」
 だらだらと、みんな教室の外へと出ていく。
 しかし立ち上がらない人物が一人いた。
 リーちょんだ。
「拓也のため。行くぞ」
 黒木Tはリーちょんにそう言った。リーちょんは体をぷるぷると震わせて言う。
「今日は拓也の葬式じゃない。だって拓也は死んでなんかいない。そうだよ、きっと今日も拓也は遅刻なんだ。もうすぐ来ます、拓也は。そして、拓也はまたこの席に座るんです」
「梨奈!」
 黒木Tは怒鳴り上げた。そして、優しく言い聞かせるように言った。
「あいつの最後のパーティーだ。梨奈、祝ってやれ」
 そういえば、普段は下の名前では呼んだりしない黒木Tが今日はどうだろう。それが、黒木Tの優しさだと思う。リーちょんはしばらくそのままだったけど、
「はい」
 と泣きながら立ち上がり、こらえていたものを一気に吐き出した。大声で泣いていた。

「なぁ、楓」
 なに? トールブルー。
「拓也のとこ、本当に無理心中だと思うか」
 それもあるえるんじゃない。拓也は片腕無くして家に帰ったんなら、家族だってパニックになるよ。それでなのかな、やっぱり。
「違うんだ」
 えっ。
「違うんだよ」
 だったらなに?
「オレの……オレの姉貴達なんだよ」
 お姉さん達? お姉さんが拓也を?
「ああ。帰っても身体の震えが止まらなくて……それでバイトから帰ってきた麻世姉に話したんだ」
 どうなったの?
「ちょうど彼氏に振られたし、憂さ晴らしに拓也達を殺すの手伝ってやる。そういったんだ」
 拓也をその、麻世姉と殺しに言ったの?
「オレはもう相当疲れてたし、身体も精神的にも。そう言ったら加世姉連れていく、って言ったんだ。そう言われるままに住所教えたら……」
 こうなってたわけね。
「ああ。朝のニュース見ながら、これ、わたし達だよって笑いながら言ってたんだ……何の罪悪感もなくさらりと」
 そう。
 ……大丈夫、トールブルー。やったことは間違ってないから。
「本当か?」
 ……本当だよ。
 身体に広がるトールブルーの感触。あたしは、トールブルーに抱きしめられているんだ。 トールブルー、泣いてる。
 あたしには衝撃だった。この年で、男の人の泣き顔なんて見たことなかったし、それだけじゃなかった。トールブルーがこんなに近くにいる、それだけ。
 あたしも、トールブルーを抱きしめた。
 大きい。固い。あたたかい。
 それが、あたしに安心感を与える。
 トールブルーを初めて感じたときだった。
 トールブルー。
 ブルー。今度狩りをやるときも、二人で一緒にやろう。
 トールブルーに強く抱きしめられる。トールブルーの涙と、震えは消えていた。
「ああ」
 力強い、男の子の声。
 もうしばらく……
「うふふふふふふふふふふふふ」
 トールブルーを突き飛ばすように離れる。
 声の主は、白だった。
「二人とも、目と顔が真っ赤ですわ」
 白に見られた。目の前のトールブルーの顔は真っ赤だった。あたしも真っ赤だったと思う。
「邪魔、しましたね」
 白は足取りも軽く、去ってゆく。暗いムードもどこへやら。
「なぁ」
 なに?
「白って聞いてたのか?」
 たぶん、大丈夫だと思う。

  SIDE リーちょん

「あのさ、頼みたいことがあるんだけど」
 あたしは一大決心のこと、その不良達に話しかけた。
 ここは、不良達のたまり場になっている奥まったところにある小さな公園。普通の生徒は絶対にこんな所に来ないし、あたしもこんな時でなければ来なかった。
 頭にバンダナを巻いた、目つきの悪い少年(あたしと同じ歳かも)があたしの方をめんどくさそうにむいた。
「あたしは梨奈よ」
「だからなんだよ」
 気迫十分で答えてくれた。つかみはOK。
「喧嘩して、めちゃくちゃにしてほしい人がいるの。殺してくれたって構わないわ」
「お前、ふざけてんのか」
「もちろん報酬は払うわ。あたし、お金持ってるの。二十万」
 こっそり通帳から下ろしたお金だ。
「誰なんだよ、そのメタメタにしてほしいヤツってのは? あんたの元彼か?」
 嫌みなヤツ。ここは、おさえて、おさえて。
「違う。あたしの彼を奪った……人よ」
 殺した人、と言いそうになったのを、おさえる。
「……そいつもオレ達みたいな奴かよ」
「違う。普通の女」
 普通じゃないけど、普通の女。
「なぁ、そんなことより。オレと付き合わねぇか」
「……いいわね」
 いいわけないじゃない。こんな臭そうなで汚い奴。
「行こうぜ」
 あたしは彼についていく以外に方法がなかった。
 もうどうなったってかまわない、そう思えてきた最近。
 拓也がいないんだったら、あたしのいる意味ってなに?
 まだ、恋のチャンスはあるかもしれない。
 でも、あたしには人に言えないハンデがあるから。
 とにかく今は、拓也を殺した奴が憎い。
 待ってなさい、楓。

  五

 がしゃん。
 目の前で植木鉢が割れる。
 これがもしあたしの頭の上に落ちていたと思うと、ぞっとする。
 拓也の葬式から、もう二週間が経ち、十月半ばの日の沈む時間が早くなったなと感じるころ。
 しばらく前までは、拓也の父が大変な遊び人で拓也も隠れてバイトしてたとか、実は拓也の遺体はまだ見つかってないなどの、本当だかウソだか判らない話が上がっていた。しかしその話題もつきて、今では机の上の白い百合だけが拓也を物語っていた。
 誰もが、拓也を忘れようとしていた。
 そんな日の昼。四時間目の国語が終わり、ブルーと後者の中にはへ、あたしの作った弁当を食べに行く途中、それは降ってきた。
 ブルー共々、顔は青ざめていたに違いない。
 どこからこんな物が落ちてきたのか、上を見上げると、
「音楽室か」
 ブルーが言う。音楽担当の筑紫先生はガーデニング好きで音楽室を植物で飾っていて、窓にも植木鉢を針金でくくりつけて掛けてある。その一つが、抜けた歯のように空いている。
「大丈夫ですか?」
 声は上から、音楽室から。白が窓から身を乗り出して、声を掛けてきた。
 白は合唱部に所属していて、昼放課は音楽室で合唱部の仲間とお弁当を食べてるって、この前言ってた。
「なんとか、セーフ。あと一歩踏み込んでいれば、あの世へGOだったよ」
「なんなの、今の音は」
 リーちょんが現れる。いつものメモとペンを持って。
「怪我してないか」
 ブルーが心配してくれる。
「うん、大丈夫」
「音楽室の植木鉢、一つ落下。岩山楓、危機一髪と」
 ぶつぶつ言いながらメモを取るリーちょん。
「きっと植木鉢が風に吹かれて落ちたんでしょうね。あー、別に事件にもならないわね」
「事件になったら困るよ」
「それもそうね。とにかく、筑紫先生のガーデニング好きも、ちょっとは収まるかもしれないわね」
 教室の観葉植物とか花のおかげで、たまに授業中にハチなんかの虫が入ってきたりすることがあって、その点だけは困りもんだったりする。まぁ、あたしは筑紫先生の趣味、好きなんだけど。
「あー、もっと大々的な事件とかないのかしら」
「運動部の試合とかは取材してきたらどうだよ」
 ぶつくさ言うリーちょんに、ブルーが言う。
「あっちは男の子の仕事。あたしはスポーツにあんまし興味ないからね」
 じゃあね、といって去るリーちょん。あの反動からか、前にもまして報道部に熱心になったリーちょん。その点でなにかあるとすぐ飛んでくるけど。でも、元気になって良かった。

 がらがらがっしゃん。
 光が一切なくなり、真っ暗になった。
 あたしは都合で、運動場の隅にある、体育倉庫を訪れていた。
 それが、突然扉が閉められた。
「ちょっと、まだ人がいるんですけど」
 そんなこともお構いなしなのか、がちゃんと音を立てて、どうやら鍵まで閉められたようだった。
 って、閉じこめられたの!
「ねぇ、まだひとがいるんですけど!」
 鉄で出来た扉をどんどんと叩く。
「まだあたしが残っているんですけど!」
 お願い、誰か気づいて。暗いの恐いよ。
 でも、ここって高い位置に小さな窓があったはず。なのに今は昼間なのに真っ暗だ。
「誰か〜、開けて〜」
 涙声になってきた。んん。
 異臭を感じた。本当に臭い。これは、やばいかもしれない。
 どうにか脱出しようと、扉に何度か体当たりしてみるが、びくともしないし、この音に誰も気づいてくれない。
 異臭は強くなる。
 今は試験期間中とあって、部活をやる生徒はなく、誰もこんな運動場の隅には来ないだろうな。
 えーい、最終手段。鋼糸!
 鉄の扉をきれいに切り刻んで外に出た。
 光が入ってくると、異臭の正体がはっきりした。
 下になぜか転がっている二本の洗剤ボトル。よくある、酸性とアルカリ性、混ぜると危険というやつだ。
 明らかに、度が過ぎたいたずらで、あたしを殺そうとした行為だ。
 体育倉庫の高い位置になった窓は、外から段ボールが貼り付けられている。
 一体誰があたしを殺そうとしてるんだよ。
 それにしても不運だね、相手も。あたしが吸血鬼狩りだから、そんなに簡単には殺せないよ。

「やっぱし」
 教室で待っていたブルーと合流したあたしは音楽室に来ていた。
 すでに落ちた植木鉢のあった場所には代わりの植木鉢が置かれ、針金で強く固定されている。相変わらず、ガーデニングの好きな筑紫先生、新しいの置くの早いよ。
 新しい植木鉢を見に来たんじゃなくて、その近くの新しい糸のような物が通った擦れ跡、それは下に向かって伸びている。
「もしかして、オレ達の教室か」
「行こう」
 ブルーと一緒に走り出す。
 ここ三階は音楽室。その下のに階があたし達の教室だ。
 糸の跡はあたしのクラスの窓で終わっていた。
「ブルー。謎は解けたわ」
「オレだって、解けたさ」
 そーですか、ハイハイ。
「でも、犯人までは判らない」
「オレだって判らないよ」
 植木鉢に糸を巻き付け、それを窓から見ていた犯人。その場所に一番近い席は白だけど、白は音楽室にいたし。とにかく犯人は、あたしが植木鉢が落ちる予定の場所に来たら糸を引いた。すると花瓶は糸に引かれて、落ちる。糸を仕掛けたから、植木鉢にはたくさんの糸の跡があるだろうけど、その植木鉢は割れてしまった。
 うん、我ながら名推理。
 なんて浸ってる場合じゃない。
 六時間目の体育の授業で、なぜかいつも目の敵にされているあたしが、器具の片づけをやらされることを知っているのも、あたしのクラスの人だろうし。やっぱり、クラスメイトの仕業のようだ。
「楓」
「あたしはなんにもしてないよ」
 あたしはブルーになに即答してんだ。
「オレが言う前から言わなくてもいいじゃんか」
「でも、そうなんでしょ」
「……ホントに、心当たりないのか」
「ない。全然ない!」
 恨まれる覚えなど全くござりませぬ。
「拓也関係か」
「判らない。でも、さっきこんなことがあった」
 と、あの体育倉庫での出来事を話す。
「おい、本当かよ。ったく、ホントに命狙われてるんじゃないか」
「そうみたい」
「あーもう、離れるな、オレから。ついていてやるから。守ってやるから」
「……それって、結構格好いいこと言ってない、ブルー」
「恥ずかしいから、そう言うの指摘しないするなよ」
「ふふふふ、ブルー」
「……なんだよ」
「ありがと」
「ああ」
 なんか、いい感じ。

 六

 初デート。
 守ってやると言ったからには守ってもらわないとね。
 それでも今は普通のデートである。
 ま、その方がウレシイけど。
 もう秋なのに、まだ頑張っている日本製のホラー映画を見た後、あたし達は繁華街をぶらぶらと歩いていた。
 なんもない会話を交わしながら、なんでもないことで笑い合う。
 人から見れば、あたし達も一カップルに過ぎないんだろうな。普通であることがウレシイ。でも目線は常に辺りを警戒している。
 こういうときのブルーの眼孔は本当に鋭い。
 やっぱ普通のデートなんて、あたしには出来ないのかな。
 そんなことない。ただ単に、今狙われてるから、普通に出来ないだけ。だったら、あたしを狙っているやつを殺せば……殺せば……普通になれる、あたしの自由が得られる。
 あたしには鋼糸がある。
「楓」
「えっなに?」
 思いに耽っていたあたしはブルーの言葉に動じていた。
「楓、さっきからにやついてる。思い出し笑いか?」
 恥ずかしい。
「ちょっと、殺しについてて考えててさ」
 ブルーは難しい顔をして、
「どうして殺しについてでニヤニヤするんだ?」
 えっ、どうしてって聞かれても……
「殺しってさ。あたし達は吸血鬼を殺す、というより狩るために覚えたわけだけど、他のことに使って良いと思う?」
「鋼糸を包丁の代わりにでも使うのか? みじん切りとか簡単そうだ」
「そうじゃなくて、吸血鬼以外の人を鋼糸で殺すってこと」
 ちなみに、実際包丁の代わりに鋼糸を使ったところ、見事に野菜のみじん切りとまな板のみじん切りが混ざってできました。あはは。
「殺しを他に何に使うんだ? 裏社会に生きるような人間になりたいのかよ」
「元から裏社会みたいなもんじゃない、吸血鬼社会なんて。気にすんな」
「楓。マジで金もらって人を殺めるような人になりたいのか。そーかそーか。切り裂きジャック再来だな」
 そうじゃなくて。
「この力を使って好き勝手に人を殺すことよ。こんな風に歩いててもさ、この繁華街にいる人間、百人を数秒で殺すこともできるんだよ」
 あたしが吸血鬼探しをしていたとき考えてたことをうち明けてみた。それも一種の恐怖だと。
「楓、やっぱりどこかおかしいよ」
「どこが?」
「あれだよ。ホームで電車待っててさ、前のみ知らずの人の背中をそっと押すだけで殺せても、押してみたいとは思わないだろ」
「時々思っちゃう」
「だから楓はおかしいんだよ」
 そんなもんなのかな。
「要はどの過ぎたおもちゃを持ってるんだよ。警察官の拳銃みたいにさ」
「ブルーは、そんなこと思わないの?」
「思わない」
「じゃあ、この鋼糸を吸血鬼狩り以外に使って良いと思う?」
 ブルーはまた難しい顔をして。
「自己防衛程度なら良いだろ」
「えっ、嫌いな人を殺すとかは?」
「忘れてないか? オレ達は吸血鬼を狩る運命を背をってること以外は、そこら辺にいる普通の人間なんだよ」
 普通……そっか、あたし自分と吸血鬼狩りを特別視しすぎてたんだよね。
「不満か?」
「ぜーんぜん」
 そうだよね。
「普通か」
 改めてつぶやいてみる。
「普通さ」
 返してくれるブルー。
「そろそろお腹空かない? そういや、向こうに新しいフランス料理の店ができたんだって。そこのオリジナルスパゲッティーがおいしいらしいの」
「行くか?」
「行こ」
 今はブルーといること。それが大切。

「あれ、リーちょんじゃないか?」
「ほんとだ。一人でいる」
 リーちょんはまだこちらには気づいていないようで、ウインドウショッピングに励んでいる。あそこって、ブランド物のお店じゃなかったっけ。
「声かけてみるか?」
「かけない。このまま過ぎよう」
 と、そこら辺のカップルなんかと混じって、その通りを過ぎようとする。しかし、リーちょんはこちらに気づき、人混みをかき分けてやってきた。
 近くに来るなり、あたしの腕をつかみ、
「ちょっと、おたくの彼女、お借りします」
 と、リーちょんに連れられて行く。
 リーちょん相手では、あたしもブルーも抵抗できずに、あたしは連れられていく。
 ブルーはこちらを見つめているが、追おうとはしない。
「どこ行くの、リーちょん」
「黙ってついてらっしゃい。いいとこよ」
 と言って、ビルとビルの間の路地に入る。
「いいとこって?」
「……あたしの叔父さんがやってる香水屋。新商品を試してほしいのよ」
「……それって、やきもち」
 突然足を止め、無表情でにらむリーちょん。こ、恐い。
「……ごめん」
 なんて言える立場じゃないのに、あたしは。
 また歩き出すリーちょん。すると、突然に、
「それもあるわね」
 !
 身体は反応していた。さすが幼いころから鍛えられてただけはある。
 からんと音を立てて落ちたのは、半ばで切断された金属バット。
 ちょうどそこには、ビルとビルの間の小さな広場。あたしの横には半分になった金属バットを持った男の子。髪の色や服装など、「自分は不良です」と言わんばかりの格好。そんな奴らが広場に集まり、その数約十人。バット以外にもバタフライナイフなど、どの過ぎた喧嘩グッズを持ち合わせている。
 なにがどうなってるのよ!
「ちょっと、リーちょん変なとこ入っちゃったよ」
「ここがいいとこよ」
「えっ、て香水屋は?」
「嘘よ」
 そんな。あたしを殺そうとしていた張本人はリーちょんだったっての!
 とにかく、ブルーを呼んだ方がいいかな。
「ブルー!」
「いるよ」
 って、すぐ後ろにいたし。
「どうしたんだ楓?」
「わかんないよ。でも、喧嘩売ってきてるみたい」
 ブルーはあたしをかばうように前に立ちはだかる。キャッ、ブルーの背中。
「トールブルー、聞いて」
 今にも飛び出しそうだった不良達を抑えて、リーちょんがなにか語り出す。
「楓はね、人を殺したことがあるような人間なのよ」
 突然なにを言い出すかと思えば。これにブルーは驚くわけでもなく……不良達の方が驚いてやんの。
「その楓が殺した人ってのがね、他の誰でもなく拓也なのよ。信じられる? あたし達親友と呼べる中だったのよ。なのに……楓は拓也を殺した。楓の身勝手な都合だけで。そして次の日の葬式には『あたし関係ないもーん』って顔して出席してたのよ。そんな楓よ。それでもトールブルーは楓のそばにいるの?」
 激しく訴えるリーちょん。
「……」
 いつ知ったんだろう、リーちょんは。
 できれば、リーちょんと白にだけは知ってほしくなかった事実。リーちょんには、あたしはごめんと言いたいけど……言えない。そんな身分じゃないから。
「……楓は……そんな奴じゃない。人を殺してなんかいない。冗談もいい加減にしてくれ」
 もしかして、ブルーの熱演? 恐いくらい、ブルーはこの状況を楽しんでない?
「事実よ。トールブルー。惑わされないで」
「嘘だ。リーちょんこそ、後ろの奴らに騙されているんじゃないのか」
「違う。俵上君達にはあたしが頼んだの……俵上君、楓を捕まえて!」
 なんか、大変な展開に戸惑っていた不良達は我に返り、あたしに向かってきた。
「楓も大変だな」
「いろいろとね。逃げてしまわない?」
「いや、楽しみたい」
「さっきあんなこと言ってたのに」
 人前なので鋼糸も使えないことで、逃げようとあたしが提案したけど、なんかブルーは自信がある様子。ブルーは不良達に向かっていく。
 そして、ばったばったと倒れる不良達。
 ブルーは首筋を鋼糸でちょっとばかり切り込み、相手が痛みに気を取られている隙に、殴る。知らない人から見れば、なんでもなさそうなパンチに見事当たってるという光景。
 しかし、ブルーにも隙があったようで、リーちょん自身に背後を取られた。
「動かないで」
 ぴしゃりとブルーの首筋に当てられた果物ナイフ。
「トールブルー。楓が拓也を殺した本当の理由、教えてあげる」
 ある意味、リーちょん一人で踊ってる状態。
「拓也はね。拓也はね……あたしと同じ、吸血鬼なのよ」
 一対の牙。拓也に比べて小さい黒い翼。あたしとブルーはリーちょんに驚いていた。
「吸血鬼だからって、なに。血を吸わなきゃ生きられない。ただそれだけで殺されたのよ、拓也は!」
「リーちょん」
 ブルーは優しげにつぶやいた。なにやってんだか、この状況楽しんでない?
「オレも、リーちょんに悲しいことを教えなきゃならない……」
 なに? とばかりに顔を上げるリーちょん。リーちょんの持つ、震えたナイフ。ここまでのリーちょんの行動も、意を決したものだったのだろう。
 からん、とナイフが突然落ちた。落ちたのは刃の部分のみ。きれいな切断面を残している。
 リーちょんはそれを理解したのか、身を投げ出すようにしてブルーから離れ、翼を開く。
「俵上君達、すぐに逃げて」
 混乱の極みにある不良達は逃げるという言葉に敏感に反応して走り出す。
 ブルーもそれを追おうとはせずに、落ちたナイフの先を拾っていた。
 あっという間に広場はあたしとブルーだけになる。
「なんだかな」
 ブルーがつぶやく。
「クラスに二人も吸血鬼かよ」
「うん。きっと学校であたしを狙ってたのも、リーちょんだね。これからどうする? ブルーはお姉さん達に報告するの?」
「しない……あああああ」
「ど、どうしたの」
 突然声を上げたブルー。
「オレ、さっきの状況楽しんでた。人を痛めつけたり、殺したりすることを楽しんでた」
 自虐的につぶやく。
「リーちょんは友達だったのに、なに楽しんでるんだよ」
 壁に頭をぶつけ出す。
「くそっ」
 ブルーは悩んでる。それはあたしもぶち当たった壁。あたしの納得した答えを、ブルーに述べることにした。
「もう、いないんだよ」
「……誰がだよ」
「もう、あのリーちょんはいないんだよ」
「えっ」
「リーちょんはもういない。過去の人間なんだよ。ブルーと一緒で」
「どういうことだよ」
「あたし達吸血鬼狩りに見つかったことで、もう過去の友達はいない。もう、殺されるしか運命ないと思えば」
「……そんなことあるかよ。吸血鬼にだって別の人生は」
「ないよ。あたし達は働くから。もう機械的になろう」
「なれない。オレはあくまで人だ」
「人でいいけど、仕事の時だけ、機械的に。じゃないと、この世界やってけない」
「……」
「機械的になるしか、ないよ」
「……そうかもしれない。判ったよ、楓」
 良かった。元気になった。
「今からどこ行く?」
 ブルーの方から誘ってくる。
「……当てもなく、歩きましょうか」
 デートは再開した。

 その翌日。
 朝の教室の光景は、いつもと変わらなかった。
 いつもと変わらない方がおかしいんじゃないか、この場合。
「おはよう」
「お、おはよう」
 いつものことなんだけど、挨拶してくるリーちょん。今日もリーちょんは普通に投稿してきて、普通に挨拶までしてきた。
 そう、普通に。
 その普通があたしをぞくっとさせる。
 驚きを隠せないあたしとブルーを数奇な目でみんな見つめるけど、リーちょんは平然と席に着く。
 リーちょんの耳にそっと口を運び、
「殺されたいの? リーちょん」
 しかし、リーちょんは勝ち誇ったように、
「こんな人前で殺せる? あたしは楓を殺しのに、人前は厭わないわ」
「どういうこと?」
「別にあたしはただの吸血鬼、翼を出さなきゃただの人」
「……今日は休戦しない?」
「嫌よ。殺す機会があったら殺すって言ってるのよ」
「そんな、少年院送りだよ」
「そこで高笑いをしてやるわ。拓也を殺した女を殺したってね」
「なにをこそこそ話しているんですの?」
 突然白が口を挟む。
「なんでもない」

 今日の放課中はほとんどブルーにぴったりくっついて過ごし、昼放課は白の合唱部に混ざって過ごし、トイレは教室から遠い体育館横のトイレを使った。
 神経をピリピリさせながら受ける授業も、やっと六時間目。
 理科室での実験。あたしはリーちょんからできるだけ離れた場所に陣取る。ブルーもあたしの横の席に座る。
 後、一時間乗り切れば、今日はすぐに帰ってやる。
 珍しく白衣を着た黒木Tは授業で使う物を用意している。理科準備室から瓶を持ってきて、どうやらその薬品を薄めているようだ。
 黒木Tがその瓶を教卓に置いたまま、他の薬品を取りに理科準備室へと入る。
 リーちょんが突然立ち上がった。
「白、ちょっと手伝って」
「なんですの」
「それって、濃塩酸じゃないですか」
 あたしはその光景を見て気づいた。白は人質!
「どけ」
 今まで誰もリーちょんのこんな声を聞いたことがなかっただろう。憎悪に満ちた、そして殺気に満ちたリーちょんの声色。
「みんな聞けー!」
 躍起になったリーちょんが叫ぶ。尋常ではないリーちょんに、クラスは一瞬にして静まる。
「拓也は世間じゃ、無理心中で死んだってことになってるけど、違うんだ」
 あー、言わないで!
「拓也は殺されたんだ! 楓とトールブルーに!」
 リーちょんは逃げようとはしない白をつかんだまま、駆け出した。
「あたしみたいな……あたしみたいな吸血鬼という理由だけで!」
 リーちょんの口に牙、背中に翼が現れる。
 その光景に、みんな一斉に教室の隅に退いた。オバケか、エイリアンを見たという目だ。
 リーちょんはあたしの方に塩酸の瓶を投げる。あたしとブルーから右にそれ、大きな音と塩酸をまき散らして割れた。
 今度は大型のナイフを取り出して、あたしの方と白の首に交互に向ける。
「殺してやる!」
 我を失ったかの様に襲いかかってくるリーちょん。
「とりあえず、逃げるぞ」
 ブルーに従い、体当たりでガラス窓を破る。様に見せかけて、ガラスを鋼糸で切り刻む。
「体育倉庫に逃げ込むんだ」
「うん」
 上級生がサッカーをしてる最中の運動場を横切る。
 窓から飛び出したリーちょんは白を連れていなかった。
 リーちょんを追ってくる生徒は誰もいない。黒木Tすら追ってこない。それはちょっと寂しくないか。
 この前閉じこめられた体育倉庫の扉はなく、大きな口を開けていた。そこにブルーと飛び込んだ。
「すぐに入り口に鋼糸を張るんだ」
「りょーかい!」
 鋼糸を張る。あのリーちょんの飛ぶスピードで突っ込めば、鋼糸の網に切り刻まれ、ことは終わってしまうだろう。
 楽勝。だけど、後でどう説明しよう?
 そう思いながらも、鋼糸を張る作業に集中しようとした。
 リーちょんは翼で飛び上がり、片手にナイフを持って向かってくる。
 その時、あたしはあることに気づいた。リーちょんの目は、泣いていた。
 もうすぐ、もうすぐでことは終わる。
 表現が悪いけど、リーちょんがミンチ状に切り刻まれる。
 しかし、リーちょんは転んだ。
「えっ」
 違う。リーちょんは翼で飛んでいたのだから、転ぶことはないじゃないか。リーちょんの足にしがみついている人がいた。その人は、片腕だった。
「拓也!」
 あたしは声を上げてしまった。
「逃げるんだ。リーちょん」
「嫌よ。こいつらは拓也を! って、拓也!」
 死んだと思っていた人との突然の再会。リーちょんは驚きと嬉しさを隠せない。しかし、その中にもあたし達に対する憎しみが含まれていた。
「どうして、今頃現れるの」
「心配だった。とにかく今は逃げよう」
「嫌よ。こいつらは、だったら拓也の両親を殺したのよ。なのにほっとくの!」
「ほっとかなけりゃどうするんだよ。まさか殺すとでも言うのかよ」
「そうよ!」
 拓也は一つ舌打ちしてから、
「ちょっと前まで一緒に笑い会ってた仲間を殺せるかよ!」
「甘いよ、拓也。こいつらはどんなに遠くに逃げても、殺すために追ってくる」
 リーちょんはキッとこちらを睨む。
「追いかけてやるさ」
 売り言葉に買い言葉。ブルーが答える。
「とにかく、今は逃げるんだ」
「クッ」
 渋々、リーちょんは拓也に続く。
 拓也には、張り巡らされた糸が見えたのだろうか。
 あたしとブルーは急いで張り巡らせた糸をしまう。
 その間にリーちょんと拓也の二人は翼で飛び上がる。そろそろ、生徒がぞろぞろと土間から出てきた。生徒達は飛び上がる二人を見て、足を止めた。
 鋼糸を片づけ終えて出てくると、もう二人は空高かった。
「あーあ、行っちゃった」
「今ならまだ追える。行くぞ」
「あ、待って。学校はどうするの」
 どうでもいいと首を左右に振り、ブルーは走り出した。
 あたしもそれに続く。クラスメイト達はあたし達を見ているが、誰も追ってこなかった。
 あたしとしてはその方が嬉しいけど。

 案外、二人には早く追いついた。
 拓也は左腕を失っているためか、左右のバランスを崩し、何度か落ちそうになりながらも、リーちょんに助けられている。
 追いついていると行っても、相手は空中。空中に向かって網状の鋼糸を投げることはできるが、そんなことをしたら伝染に引っかかって感電してしまう。
 今はただ走って追いかけるだけ。
「待てよ、こらっ」
 ……なんて行っても待ってくれないか。
「危ない!」
 ブルーに二の腕を掴まれる。目の前を車が勢い良く通り抜ける。
「えっ」
 車に乗っていた。
「楓! 楓、どうしたんだ」
 ずっと車に向けられていた視線が、ブルーの手によって強引にブルーに向けられる。
「大丈夫か。もう少しで車に轢かれるかれるところだったんだぞ」
 そう言えば、そうだった。
「ありがとう」
 いつの間にか、車は見えなくなっていた。
「あの車に、白が乗っていたような気がした」
「なんで白が車に」
「だから『気』だけだってば! はっ、拓也達!」
 もう吸血鬼の姿は見えない。
「もっと進んでみよう。拓也達だって疲れて休んでいるかもしれない。第一、人通りがほとんどない時間帯だから良かったものの、街中を飛び回るわけにはいかないでしょ」
「そうれもそうだな。行こう」
 あたし達は再び走り出した。

  SIDE 白

 震えが止まらない。
 リーちょんにナイフを付けられ、ナイフを付けられたこと、それは恐くなかった。
 私が恐かったのはリーちょんと楓、トールブルーの姿。
 本当に憎みあっている、私にはそう見えた。
 その姿が恐かった。
 拓也の葬式がある日までは、私達は本当に仲の良いグループでした。私、楓、リーちょん、拓也、トールブルー。
 なのに、吸血鬼の事件は私の前に現れた。
 吸血鬼の事実は私達のグループを引き裂いた。
 だったら、私はその事件を解決しなければならない。
 私は山本刑事部長の娘、白なのだから。
 リーちょんから解放されて、逃げることを予想して警察の人に車で来てもらうように頼んでおいた。だから、すぐに私は車で追うことができた。
 途中、走っている楓とトールブルーにすれ違った。
 拓也とリーちょんは吸血鬼らしい。
 楓とトールブルーは吸血鬼狩りらしい。
 私はこの事件を解決しなければならない。
 もう、楓達にあんな表情をさせたくはないから。
 また一緒に、話したりいろんなことしたいから。

 結局見失ってから拓也とリーちょんを見つけることはできなかった。
 太陽が沈んだところで、ブルーに家まで送ってもらった。
 でも、ブルーや拓也、リーちょんのことが頭から離れなかった。
 明日どうやってみんなに顔向けしよう。
 ブルーに電話してみる。
 そう言えば、あたしはいつからブルーって短く呼ぶようになったんだろ?
 ブルーって呼んでも変な顔しないし、まっいいか。
 あっ、青高さんのお宅ですか? あたし、岩山です。強君いますか? あ、はい。お願いします。
「もしもし?」
 あっ、ブルー?
「よう。どうしたんだ?」
 あの、ちょっと声聞きたくて。わぁ、マイナーなセリフ。
「ハハハ、そうか。……どうするよ、明日」
 どうしよう。行かないで、拓也達捜す?
「学校には行こう。あまり行かないと、学校が不審に思うだろ」
 もう不審に思われてると思うけど。
「今日だけならただ逃げた拓也達にを追いかけただけってことでいいだろ」
 そうだね。うん。
「窓から襲ってくるかもしれない。一応窓に鋼糸張っとけよ」
 うん。そうする。
 それから普通の会話。
 拓也とリーちょんのこの一件。これが終われば、とりあえずは普通に戻れるはず。でも、もう普通は帰ってこないかもしれない。あたしの普通は毎日学校に行って、友達とおしゃべりして。親友だった二人は、もういなくなる。そんな普通が、あたしにはあるのだろうか。
「……えで、楓!」
 ん、なに?
「どうしたんだよ。いきなり黙って」
 ううん。ちょっと考え事があっただけ。
 時には別れもあって、時には出会いもある。
 今までのあたしの別れは、出会いと一緒にやってきた。だから今度の別れも、新たな出会いを生むはず。
 だからあたしは大丈夫。
 吸血鬼狩りでも、その運命を自分で受け止めることができるから。
 だからあたしは大丈夫。
 吸血鬼狩りでも、一人じゃないから。
 だからあたしは大丈夫。
「また、明日な」
 うん。おやすみ。

 七

「あの二人にあくまでも乗り移ったか! ノストラダムスのオヤジ、遅いぞ!」
「あの牙と翼ってコスプレ? もしかして、自前?」
「二人は噂の吸血鬼。写真にとって、どっかの雑誌に送るべきだったか」
 知らないよ、そんなこと。
 クラスは以外と気楽だった。しかし、それが痛かった。みんな、あたし達の痛みを感じたから、極力あたし達には的はずれな質問をする。それが、みんなと接していて判る。
 それにしても、質問の数、多いよ!
「あの二人ってやっぱりニンニク嫌いなのかな」
「拓也君、この前十字架がプリンとされたシャツ着てたよ」
「アベル様。どうか我が学校に……サンドイッチ奢りますから」
 聞くと、クラスの意見はいくつかに分かれている。
 一つ。二人め、騙していたのか、コンチクショー。
 一つ。あれは嘘だ。幻覚だ。
 一つ。吸血鬼なの。すごい個性ね。
 吸血鬼が個性といえるのかあたしは知らないけど、とにかくみんな騒ぎ、その中心にいるのはあたしとブルー。
「ねーねー。しっぽも生えてくるのかな」
「吸血鬼ってことはコウモリだよな。でもあの翼はどう見ても、鳥類だ」
「みんなで夢見てたってこともあるよね」
 知らないってば、そんなこと!
「おい、青高(ブルーのこと)、岩山(あたしのこと)」
 そこに神からの救いのようにかかった黒木Tの声。
 なんとかその中から脱出。黒木Tに連れられて行かれるのは、生徒指導室。こんなとこ今まで入ったことないよ。
 そこに集まったのは三人の先生方と、あたしとブルー。
 生活指導&英語担当、イギリス人のフォワード先生。
 学年主任&国語担当、上条先生。別名、肉男。なんでも前は自衛隊にいたとか。
 クラス担任&理科担当、黒木T。この二人の教師といると、だいぶ浮いてしまう。
 コホン……
 わざとらしく咳をする肉男先生。お願いだから、そのがっちりとした眉の上下運動はやめてほしい。
 ああ、ものすんごく重い雰囲気デス。ハイ。
 あんたが言い出せよとばかりに、横目で視線をぶつけ合う三人の先生。この状況、明らかに黒木T、不利。結局黒木Tが言うことになったらしく、一つため息、その後咳払いをして口を開く。
「睦月君(拓也のこと)と柴通君(リーちょんのこと)は、吸血鬼なんだな」
 友好的な口調。そのわりに、質問がやや率直すぎだし。
 しかし、あたし達の答えは決まっている。今日の朝、打ち合わせした通りに、
「……」
「……」
 そう。無言の沈黙。
 学校の教師に話せば必ず警察沙汰になる。そうすると、今まであたし達吸血鬼狩りが隠してきた吸血鬼の存在が、明るみにでてしまう。だから、あたし達は今なにも言ってはならない。言うとしても、否定の答えだ。
「……」
「……」
 無言を貫く。
 雰囲気は少しずつ蒸されている。
「……」
「……」
 どうしても泳ぐ視線。
 ヨーロッパ人特有の表情を浮かべるフォワード先生。
 彫りの深い、太い眉で睨む、肉男先生。
 いたってスマイル、黒木T。
 あたしは黒木Tに視線を向けておく。だって、それが一番楽だもん。
「……」
「……」
 次の台詞はお前が言えよと、再び視線をぶつけ合う教師三人。
 やはり、黒木Tの出番のようだ。
「君たちは吸血鬼についてなにか知ってるんだよな」
「……」
「君たちはいつからこのことを知ってたんだ?」
「……」
「君たちはどうして答えないんだ?」
「……」
「君たちは睦月君と柴通君をかばって、なにも答えないのか。入院したときの山本君(白のこと)と上島君(副会長の上島先輩のこと)のように」
「それは違います」
 ブルーが声を上げた。答えなくても良かったのに、そう、あたしは視線を送る。
 この声に一番驚きを現していたのは黒木Tだ。顔からは笑みが消えている。
「君たちの友情はその程度だったんだな」
 違うことを言い出した黒木Tに肉男先生はなにか言おうとしたが、フォワード先生に制されて黙る。
「君たちには失望した。睦月、柴通、白、そして岩山と青高。クラスの中でもこの五人ほど仲の良いグループはないと思っていたのだけどな。ただ事情が変わったからか? その事情がどんなものか判らないが、それだけで塩酸をかけ合ったり刃物を向け合ったりするのか? 一人が困ったり苦しんだりすれば、みんなで助け合う。そんな仲間じゃなかったのか?」
 ……。
「もう、お互いに笑い会っていた君たちはいないのだな」
 ……。
 一種の金八先生並のセリフに、ぐさっと心が揺らぐ。
 その通りなんだよ、黒木先生。あたし達の核心を、ずいと突いてきた。しかし、すぐに振り切る。
 そう。一週間前までは本当にそんな仲だった、と思う。
 ……でも、もう吹っ切れちゃったみたい。元の関係に戻れないことも、運命だと片づけて。
 その時ブルーは窓から外を見ていた。青空とはこのことだと言わんばかりの青空。黒木Tはそれから喋らずに、ただこちらを睨むように見つめている。そんなあたしも、空を見つめる。
 ……ホント、いい天気。
 場の糸は全く別の所にあるようだった。
 そのまま、また無言の時が流れる。
「おまえら聞いとんのか!」
 突然肉男先生がキれた。ブルーの胸ぐらをつかみ、片手でブルーを持ち上げる。
 瞬間、肉男先生の腹が鈍い音を立てる。
 ブルーの逆ギレさたとは思えない冷静な表情に、あたしは恐怖すら覚えてしまう。それは肉男先生も同じだろう。
「正当防衛です」
「あ、待って」
 あたしはブルーについて生徒指導室を出た。
 やっぱり出席停止処分位にはなるんだろうか。それも全部吸血鬼のせいだ。

 SIDE 拓也

 痛い。痛い。……痛い。
 痛いという言葉ではどうにも甘い。オレは左腕をほんの数分前に切り落とされたんだからな。
 激痛だろうと、逃げるしかない。
 あの切り落とされた左腕があれば、もしかしたら左腕が治るかもしれない。でも、そんなものを取りに戻れば、今度は確実に命を奪われる。
 とにかく今は、逃げるしかない。
 楓とトールブルーのオレを殺そうとしているときのあの表情が、頭から離れなかった。
 街の上。ここにいることも、背中の翼のおかげ。……忌々しい。
 オレは翼と牙のおかげで『友達に』殺されかけたんだ。翼と牙さえなければ、こんなことになることはなかった。
 恐い。
 毎日顔を合わせていた奴らが、自分を殺そうと向かってくる。その運命は昔から判っていて、覚悟していたはずなのに。現実に直面してみれば、この現実を信じようとしない自分がいた。終わった現実を捨てきれない自分がいた。
 苦しみしか与えてくれない現実と自分の身体。
 だから逃げる。
 一緒に逃げる仲間はいる。リーちょんのことだ。
 だが、そいつはまだ苦しい現実に直面していない。理由、まだオレみたいにばれていない。
 オレはリーちょんに楓とトールブルーが吸血鬼狩りであることを教えるべきだろうか。いや、教えておけば良かった。
 自分の家が見えてくる。
 そして親に言った。自分の正体がばれてしまったことを。
 親はオレを……叱らなかった。
 仕方がない。その一言だった。
 家族は散った。三ヶ月後富山で会うことを契りに家族三人別々に逃げた。
 翌日。佐藤伸吾と名乗って宿泊した、その民宿のテレビで、オレは知った。
 オレ達家族は死んだことになっていること。
 これはオレ達に新しい人生を歩めと、誰かがしてくれたことなんだろうか。
 もしくは、本当に両親は死んだのか。
 確かめたかった。
 しかし手段なんてない。
 そんな時、携帯にメールが入る。
 発信者はリーちょん。
『生きていますか』
 全角六文字の短いメール。
 返すべきか、返さないべきか。
 リーちょんがオレが生きていることを知れば、リーちょんはきっと来るだろう。そんなことがあれば、リーちょんもばれてしまう。
 そう。
 判っていた。
 オレは判っていたんだ。
 でも、彼女は判っていなかったようだ。
『今、どこにいるの』
『拓也の葬式に行って来た』
『さみしい』
 逃げてから問うかが経ったころ、一つのメールがオレを驚かせた。
『拓也を襲った吸血鬼狩りって、楓でしょ』
 リーちょんはどうやって知ったんだ。
『どうして知っている』
『そうだよ』
 携帯に入力しては見たが、送信はしなかった。
『拓也の仇をとります。打倒、楓!』
 オレは学校に戻ることを決意した。意外と早く決意できた。
 ここから故郷まで、飛んで二日の距離か。
 オレは民宿のお金を少し盗んで、出た。

 八

 出席停止にはならなかったけど、ブルーと一緒に無断欠席をした。親も親だしなにも言わず、それを了承してくれた。学校も予想はしていたのか、なんの連絡もなかった。
 欠席してまでやることは一つ。拓也とリーちょん捜しである。
 どこに行ったのかも、これと言ってあてもない。とりあえずあの日、リーちょんと出会った繁華街の辺りを歩く。
 繁華街はあのときとは姿を変えていた。この街はこんなに静かだっただろうか、人影もまばらだ。あたし達がよく行くような店はこの時間はまだ開いていない。
 まだあたし達が中学生と言うともあるけど、中学生らしく正しく制服を着こなしていると、警察の人にも校外学習かなにかに思われる。
 そう言うこともあって、途中ではぐれた友達と言うことで、街で聞き込みをする。
 おばちゃん達に聞いてみるけど、返ってくる答えに魅力的なものはない。
 結局、ただ単にブルーとぶらぶら散歩してるだけになってる。でも、今のあたしにはそれが楽しかった。
「楽しいね」
「そ、そう?」
 あいまいに答えるブルー。
「なんか、生きてるって感じ。これがあたし達の運命なんでしょ。それをまっとうしてる」
「そうだな。別に悪いコトしてるわけじゃないし」
「そう。イイコトするために、今一生懸命なんだよ」
 それが理由だった。

 一週間後、あたしとブルーは学校に戻った。
 一週間のデート、じゃなかった、吸血鬼の捜索は結局失敗に終わった。
 なにも情報なし。
 たまに、リーちょんの叔父さんの香水屋と言うのも見つかっていないし。
 だから、進展を求めて学校に戻った。
 授業を受ける気なし。わー、不良だ。
 普段通りに登校して、普段通りに教室に入った。
「おはよう」
 いつもしていたみたいに挨拶する。しかしその挨拶は返ってこない。会話の輪に入ろうと近づいても、なにかあったかのように離れていく。
 クラスメイトは明らかにあたし達を避けていた。
 そりゃそうだよね。四人も無断欠席して、ブルーなんて肉男先生殴っちゃったし。
 寂しい。
 先生もなにも言ってこなかった。
 そのまま授業は進む。いつのまにか授業も進んでいて、放課中は授業の遅れを取り戻すのでいっぱいだった。
 授業は三つの空席を残したまま変わらず進んでいく。
 えっ、三つ?
 一つはリーちょん。一つは拓也。だったらもう一つは?
 ……そう言えば、白がいない。
 どうして白がいないのか、クラスメイトに聞こうと思ったけど、みんなあたしを避けて聞ける状態じゃなかった。
「ブルー、どうして白がいないんだろ」
「どうしてだ。出席簿でも調べてみれば」
「そうだね」
 出席簿を開くと、欠席マークの列が四つもあった。あたし、ブルー、拓也、リーちょん。白の所には遅刻のマークの列があった。あの一件があってから、白はずっと遅刻をしている。学校に来るのは、いつも四時間目の途中のようだ。
 その問題の四時間目。城山先生の数学の授業の最中、白は入ってきた。目の下に隈を作って。
「白ちゃん」
 白は変わらず、手を振り、席に着く。かなり疲れていそうだけど、カバンから教科書とノートと筆記用具を出して授業に取り組んだ。
 授業が終わって昼放課。あたしは真っ先に白に向かった。しかし白は授業が終わって安心したかのように、コテンと眠りだした。白が学校に来て寝ているなんて、珍しい。それに白が遅刻したって話も今まで聞いたことがない。
 あの事件から白にもなにかあった?
 授業中に目覚めて、放課中は徹底的に眠る白に、やっと話しかけられたのは昼放課のこと。白は弁当でなく、購買のパンを食べていた。
「ねぇ、白」
「なんです?」
「あたし達がいない間、学校でなにがあったの?」
「判りません。私、ずっと寝てましたから」
「夜、寝てない?」
「疲れているだけですわ。ちょっと寝る時間が短くなったのもありますね」
「……一体なにやってんの?」
「それを答えたら、楓とトールブルーがやってることも教えてくれます?」
「うう、それは……」
 言葉に詰まるあたし。
「でも……きっとやってること自体は同じですわ。ただ、目的が違うだけ」
「は?」
「おやすみ。ごめん楓、寝かせて」
「白は、白は一体どこまで知ってるの。ねぇ、答えてよって……ホントに寝てるし」
 白は一体何者なんだろう。
 確か、有名刑事の
娘だとか前言ってたけど。
 目的が一緒って、あたし達がリーちょんと拓也を捜しに行ってるのを知ってる? 白も捜していたの? じゃあ白の目的はなに?
 白って一体誰?
 ……。
 不思議。
 あたし、ブルー、リーちょん、拓也、白。
 二人の吸血鬼、二人の吸血鬼狩り、残りの一人も関係者?
 残酷だね。
 類は友を呼ぶんだよ。

 SIDE トールブルー

 昼休みの体育館。
 オレはバスケに誰も誘ってくれなかったから、自分から出向いた。お、やってるやってる。
 人数が少ない赤のベストを着て、乱入してやった。
 乱入してしばらくは避けられていたが、十分もすると、パスが回ってきた。
 シュート……決まった。
 手をたたき合う仲間。
 オレもパスを回してやると、そいつは見事にシュートを決めた。
「ナイスシュート! やったな」
 オレはまだ大丈夫だ。
 すぐにでも元の生活、バスケに戻れる。
 いつも吸血鬼だある訳じゃない。
 オレはまだ大丈夫だ。
 こんな仲間がいるんだからな。
 拓也やリーちょんとは違う。
 チャイムが昼休みの終わりを告げる。今から寝るつもりなのか、あくびをしている奴もいる。
「なぁなぁ、トールブルー」
「なんだよ、ヨシ」
「おまえってさ、岩山さんとつきあってんだろ?」
「……まぁ、な」
 吸血鬼狩りとしてだけどな……今は。
「おうおう。それでさ岩山さんとどこまでいったんだよ、なぁ」
「どこまでって、なんだよ。楓はなぁ」
「おお。下の名前で呼んじゃって。クラスじゃあ『肉男先生にケタグリ、岩山ラブトールブルー、危険いっぱい愛の逃避行』って噂だぜ」
「そんな愛の逃避行だなんて生やさしいもんじゃないよ」
 実際、血なまぐさい。
「なぬー。トールブルー、そんなとこまで……なぁ、ひとつ聞いていいか?」
「あんまし、聞かないでほしい」
「そう言わずに。……岩山って、ベットの上じゃケッコー激しいのか?」
 バシッ。顔面に平手。
「そんなんじゃねぇよ」
 倒れたヨシを無視していこうとしたが、ヨシがオレの足にしがみつく。
「おいていくな〜」
 引きずっていくことに決定。
「トールブルー、岩山さんとつきあってんだろ。そのやつれた顔見りゃ、誰でもそう思うさ」
「それはエロいヨシだけだろ」
「岩山さんって結構可愛いよな。一部の間じゃ人気だったんだぜ。でも、岩山さんの周りにはいつもトールブルーと拓也がいただろぉ。手出しできないって」
 楓。
 同じ吸血鬼狩り。それだけじゃないはずだ。
 楓はオレを慕ってくれるし、オレも楓が好き……なはずだ。
 楓が拓也を殺そうとしていた。別にオレがあの場に居合わせたのは、下駄箱から手紙を出す拓也を偶然見かけたから、ちょっと拓也をつけていってたからだ。その時、オレは楓が『同類』であることを知った。
 それからだよな、楓と二人で出歩くようになったのは。それから普通、みたいにデートもした。一緒にご飯を食べた。一緒に映画も見に行った。
 楓はだからオレを慕っているのか? そう感じてたオレは楓に優しい言葉を掛けることで、話さないように努力した。一度衝動で抱きしめ、泣き顔も見せた。
 オレは楓が好きだ。
 でも、言葉で『好き』とは言っていないな。言いたかった。言える状況なんてなかった。
 楓はオレになんて言ってきてたんだ?
『ブルー』
 俺を呼ぶ楓の記憶。
『一緒に』
 一緒に。
『楓と二人で』
 オレと楓の二人で一緒に。
『今度』
 今度?
『やろう』
 やろう?
『やるときも』
 やる、ときも?
『ブルー。今度、「狩り」をやるときも一緒にやろう』
 これは拓也を殺し損ねた次の日、お寺の裏でオレが楓を抱きしめたときの、楓の言葉。
 オレは「同類」であって、楓とは仕事仲間でしかない。
 楓はそう思ってるかもしれない。
 そんなことはない。オレが楓を衝動で抱きしめたとき、楓もオレを抱きしめてくれた。
 オレを受け入れてくれたんじゃないか。
 雰囲気は悪いが、順調だ。
 とにかく、オレは楓が好きだ。

 九

「温泉、行きません?」
「は?」
 唐突な白の言葉に当惑の隠しきれないあたしを無視して、白は話を進める。
「一泊二日のペア宿泊券、しかも二枚の有効期限が近づいているので、使っちゃいたいんです。わたしも最近父の仕事の手伝いで疲れてばかりなので、今度の土日に一緒に行きません?」
「うん。いいけど」
 勢いで答えてしまった。
「じゃあ他に、トールブルーと琉美先輩も誘いません?」
「うんうん」
「では決まり。私は琉美先輩を誘ってきます。楓はトールブルーに越えかけといてくれません?」
「いいよ。判った」
「では琉美先輩の教室に行ってまいりますわ」
「いってらっしゃい」
 教室を出ていく白に手を振る。妙にるんるんとスキップをしている白。そんなに温泉が嬉しいのかな。
 ……ちょっと待てよ。
 一緒に温泉に行くのは……
 あたし、白、上島先輩、ブルー……
 ブルーと一緒!
 しかもペア宿泊券二枚だから、二人部屋が二つよね。
 もしかしたら、ブルーと同じ部屋!
 ☆○△□◇××××……
 なに興奮してんだよ、あたしは。
 第一、親が許してくれるかどうか……
 それはいらない心配だった。あたしの親は今度はマダガスカル島へ旅行中だっての、昨日から。
 えっ、だったら本当にブルーと同じ部屋。ブルーと!
 そうよ。ブルーにも都合ってもんが……

「ブルー」
 体育館に入ってくると、ブルーはいつもの様にバスケをやっていた。お気楽なやつめ。
 あっ、それは今のあたしもか。
 やっぱバスケってのは格好いいよな。
 チームプレー。次々とパスが回り、しかしブロックも入ってくる。ドリブルドリブル、パス、シュート、おぉトラベリング、パス、シュート、失敗。
 カット、ドリブルドリブル、パス、ドリブル、シュート、トラベリング、パス、パス、おっブルーにボールが回った。ドリブルシュート、ゴール!
「ブルー、ナイス」
 と他のメンバーから言われて、誰のまねか知らないけどキメポーズをするブルー。
 バスケやってるときのブルーは格好いいんだけど、あのキメポーズはよけいだ。
 そして試合は続く。
 その後、ブルーがシュートを決めることはなかった。
 サミシイ……
 予鈴のチャイムが試合終了の合図となり、一斉に片づけ始める。
 タオルでも持ってくるんだった。
「ブルー」
 叫ぶと、ブルーは気づき手を振ってくれた。
 やっほー、ブルー。
 そして今度はモップを手にして、モップがけを始める。
 そうじゃなくて……
 モップがけをしているブルー元へ行く。
「ブルー」
「ずっと見てたのかよ」
「途中からだけど、ほとんど見てたよ」
「そう。……どうだった、オレのプレイ?」
「格好いいけど、あのキメポーズはどうかな」
「バカ、知らないか?」
「なによ」
「そうだよな、知るわけないよな」
「だからなによ」
「バスケ部の伝統で、ペア練習の時に教えてもらった先輩のキメポーズを継承するってのがあるんだよ」
「……人にやらされてたんだ」
「そうじゃなくて、後輩は先輩に敬意を持って受け継ぐんだよ」
「それでその教えてもらったのは?」
「十和田先輩」
「と、十和田先輩! 荒川中のスーパースター、十和田先輩!」
「そう」
「十和田先輩、そんなかっこわるいキメポーズしてたっけ?」
「格好悪い格好悪い言うな」
「あん。やっぱ十和田先輩がするとかっこよくて、ブルーがすると変なんだよ」
「変……か?」
「ヘン」
 しょぼんとしながらも、モップを片づけに行くブルー。
 あたしは別にブルーのキメポーズの話がしたかったんじゃなくて。
「ブルー」
 なんだ、と言わんばかりにこっちを向く。
「今度の土曜日、温泉行かない?」
 ブルーはものの見事にすっころんだ。

 SIDE トールブルー

 温泉なんて、どのくらい久しぶりだろうか。
 まぁ、男はオレ一人ってのが気になるけど、楽しくなりそうだ。
 全然離れてない距離に、楓の顔がある。楓は窓の外を眺めている。
 今は揺れるバスの中。曲がりくねった山道をずんずんと進み、いかにも温泉街に行くって感じだな。
「ブルー。なんか、酔ってきた」
「は? 乗り物酔いか?」
「そうみたい。やっぱ、酔い止め飲んどくんだった」
 オレはここぞとばかりに知恵袋を披露する。といっても、テレビの受け売りだけど。
「乗り物酔いはグラサンを掛けると治るってさ」
「そんなの、持ってない」
 そりゃそうねと、後ろの席の白が笑う。
「じゃあ、目尻辺りをつまむ」
「うん。……うう、本気で気持ち悪くなってきた」
「後三十分くらいだと思うし、外眺めてじっとしてなよ」
「ごめん」
 と言って、オレから顔を逸らす楓。
 こんなに間近にいる楓。
 オレは楓が好きなんだと思う。告白したい、そんな衝動に駆られることも何度かあった。
 でも、今はよしておこう。この吸血鬼事件が解決したら、その時は、普通の中学生として、恋がしたい。
 ……なに考えてんだ、オレ。その当人は目の前にいるってのに、くそっ。
——岩山さんって結構可愛いよな。一部の間じゃ人気だったんだぜ。
 隣の楓に目をやる。ある程度のところでそろえられた髪、手入れがしてあるのか全然乱れがない。瞳、鼻筋、口…… つい、顔を見つめていた。でも、楓は気づいていない。と言うか、さっきまであんなこと言ってたのに、寝てやがる。
 目線が下に降りていく。首筋、鎖骨、胸…… 結構楓って胸あるよな…… ってなに考えてんだオレは。
 目線が下に降りていく。お腹、腰…… ナニ、ドキッとしてんだよ。楓のスカート、なんで季節に逆らうように短いんだよ。
 目線が下に降りていく。太股、生足、スニーカー……
——岩山さんの周りにはいつもトールブルーと拓也がいただろぉ。手出しできないって。
 今その言葉を思い出すと、オレは妙に嬉しくなった。
 オレもやっぱり男みたいだ。

 一○

「ふぅ〜」
 広〜いお風呂にオレ一人。両手両足伸ばしたってクロールや平泳ぎなんてしても誰にも迷惑はかからない。ふぅ、極楽ゴクラク。
 ……せっかく女の子三人と温泉に来ても、肝心の温泉は一人なんだよな。
 ……当たり前か。
 ゴエモン風呂とか洞窟風呂とかいろんなお風呂があるところもいいけど、やっぱシンプルに広いお風呂もなんともいえない。
 あとは晴れてさえいれば、星も眺めてきれいなんだろうけど。
「ふぅ〜」
 オレは一時の幸福に浸っている。
 あと、楓がいてくれたらなぁ。
 ……イケナイ。ナニ想像してんだ。
 結局部屋は上島先輩が情操教育に悪いわとか言って、二人部屋に布団三枚向こうは敷いてもらうことになった。
 まぁ……良かったのか悪かったのか。
「ふぅ〜」
 おっ、誰かが入ってきた。
 オジサンだろうか。コンタクト外してて、よく見えない。
 ん、なにか変じゃないか。
 あの人、片腕が無くないか。
 ……。
「おまえ、トールブルー!」
「たっ、拓也! ってコラ、逃げるなって」
 タオル一枚で逃げる拓也。
 って、ぐわぁ。

「いてててててて…」
 険悪ムードの中、ブルーはお尻をさすっている。お風呂で拓也にでくわして、追いかけたところ、すってんころりんしたらしい。
 そう、この食堂にはあたし、ブルー、白、上島先輩、拓也、リーちょんが同じテーブルを囲んでいる。
 この組み合わせはまるで吸血鬼事件の関係者ばかりじゃないか。って、もちろんこれが偶然じゃないことぐらい、あたしだって分かってる。
 白が仕掛けた、としかあたしは思えなかった。
 温泉から上がって、時間だったのでとりあえず食堂には来たものの、座るだけ座って誰も喋らない。隣の座敷の笑い声がずいぶん遠くに聞こえる。
 実際、この場で吸血鬼の二人を殺すのは簡単だ。両腕を振り上げて、下ろせばもう終わっている。吸血鬼二人は椅子に座っている逃げようのない状況。ただし、吸血鬼を知らない(と思う)二人やこの食堂にはあたし達以外にも大勢の人がいる。家族連れ、会社の同僚、同窓会、多くの人が鍋を囲んで和気藹々としている。
 吸血鬼狩りの鉄則、狩りは隠密に行い、吸血鬼を世界から消すためにだけに能力を使うこと。
 だから、今二人を殺すことはできない。隠密に行い、ってところに引っかかる。人に見られちゃいけない。
 でも、目の前にいる二人を殺さなくちゃ行けないことは確か。こっちは気が気じゃない。きっと、吸血鬼の方なんてもっと気が気じゃないに違いない。
 ……
 ……
 ……
 唐突に白が
「ごめんなさい」
 頭を下げた。
「今日、この場を用意したのは私です。ごめんなさい」
「この場って、白どう言うこと」
 分かってるけど、わたしはあくまで誤魔化す。
「もう、とぼけなくていいです。ここにいる六人はこの事件のこと、吸血鬼のことをだいたい知っている人物です」
 白の告白。
「私は警察庁、及び自衛隊、及び日本政府の回し者です。ごめんなさい」
 警察庁? 自衛隊? 日本政府? 吸血鬼のことはここにまでばれてる? とにかくあたしは誤魔化すしかない。
「……白〜♪」
 あたしはあくまで愉快そうに話しかける。
「なんの冗談を言ってるのかな〜♪」
「楓! もう止めとけ」
 尖ったブルーの声。
「……うん」
 黙る他なかった。でも、あたしはじっとしていられなかった。心臓の音が直接聞こえてくるような、切りつめた緊張感があたしを覆う。
「じゃあさ、あたし達について知ってること話してみて」
 白の言うことは、吸血鬼のことをもっとも知られたくない日本政府がどこまで知っているか、と言うことになる。
「……お話します」
 一息おく。白は拓也とリーちょんの方に目を向ける。
「拓也とリーちょんの二人は吸血鬼……」
 次にあたしとブルーの方を見て、
「楓とトールブルーは吸血鬼狩り……」
 また四人に目を配らせて、
「拓也は私と城島先輩の血を吸った。そして今は、楓とトールブルーの二人は拓也とリーちょんを殺そうとしている。しかも楓とトールブルーは殺すための武器を持ってる…… 何か、間違いはありますか?」
 重々しい言葉。あたし達を傷つけないように、注意が感じられる。言葉一つ一つ、事実一つ一つを噛みしめていた。
「……なにもないわよ。そうよね、吸血鬼狩りのお二人さん」
 挑発的なリーちょんの態度。しかし、拓也に咎められてリーちょんは目を伏せた。
「白ちゃん、お願い」
 あたしの本心を白に……
「このまま、帰ってくれない」
「えっ」
「帰って欲しいの。もし白があたし達に関わったら、あたしは白と今まで通りに話せなくなる。白とは、この事件が終わってもずっと友達でいたい。だから、帰って。今のあたし達に関わらないで」
「嫌です」
 白は即答だった。
「どうして、どうしてそんなこと言うのですか。私も関わらせて下さい!」
「やめて!」
「お願いします。関わらせてください!」
 涙ぐむ白。
「私一人のけ者にしないで下さい。私だって、みんなの仲間です」
 仲間……
 もう、諦めたつもりの言葉だった。
 今、ここにいる上島先輩を除いた五人は、元は仲間……だった。
 あたしは仲間だったからこそ、白には関わって欲しくなかったのに。白はその仲間を主張した。
 友達だから……
 仲間だからこそ……
 いないで欲しい……
 こんなあたしを見ないで欲しい……
「血なまぐさい青春ねぇ」
 場違いな事を言ったのは上島先輩。みんな表情は変わらないけど唖然としてる。
「あたしは下りさせてもらっていいかしら。あたしはあなた達とそんなに親しい訳じゃないし、第一、あたしに関係あるのは拓也君だけよ。本当に下りさせてもらっていい?」
「あぁ」
 あいまいに返事をしたのは拓也。
「じゃあ、今のところは平穏にごちそうにあずかりましょう。……拓也、何か言うことはない?」
 声のトーンが低くなって。
「俺は何か、しなきゃいけないのか」
「そうねぇ……」
 この場で唯一、緊張感を持っていなかった上島先輩。お見舞いに行った時と全く変わらない口ぶり。
「拓也、今すぐあたしの部屋まで来て。それにみんなも、ここで食事を続けるのは無理でしょう。だったら、部屋に戻りましょう」

 旅館の人に料理を持ってきてもらえるかどうか尋ねると、露骨に嫌な顔をされたが、自分たちが持っていくと言うと、大きなおぼんを貸してくれた。
 上島先輩が、拓也をどうするつもりなのか、気になって仕方がなかった。
 上島先輩は部屋に戻るとすぐにあたし達を追い出し、拓也と二人だけになった。
 廊下で待たされる私たち。その間も会話なんてものはない。
 何回かブルーと目を合わせようとしたけど、ブルーは壁により掛かってうつむいたまま。
 突然、野太い男の悲鳴がした。部屋から。
 構わない、とリーちょんが部屋の扉を開く。
 部屋には、拓也の肩を抱き、首に口づけしている上島先輩の姿。上島先輩の手には血塗られた……アイスピック?
 あたしには二人がなにをしているのか判断できなかった。
 呻く拓也の声に、低く鳴る上島先輩の喉。
 拓也の血を、飲んでいる?
 上島先輩も吸血鬼!
「ぐはぁ」
 上島先輩が拓也を解放すると、拓也はそのまま倒れた。ただ立ちつくす上島先輩の口元は拓也の血で真っ赤に輝いている。
「返してもらったわよ、あたしの血」
 胸に手を当て、肩で大仰に息をしている。
「うっ」
 目を大きく見開き口元を手で押さえるが、吐き出された血が指の間からにじみ出る。何滴か畳に血が落ち、無理だと思ったのか、トイレに駆け込む。一枚の扉を通して、上島先輩が気持ち悪いものを吐き出している生々しい音が聞こえる。拓也にはリーちょんが駆け寄って。
 !っ
 あたしは思わずブルーに抱きつく。
 いったいアレはなに? 拓也の傷から普通の人より明らかに多い血が流れていると思えば、一瞬ピュッと血が飛び出すと、それから一滴も血が出なくなった。傷は赤い点だけど血は流れない。赤はだんだんと濁りだし、真っ黒な跡が残った。
 アレが傷の回復? 人じゃない。人の回復の仕方じゃない。あれだけ血が出たのに、ものの一分で回復?
 呆然としていたあたしとブルー。トイレから上島先輩が出てくる。この人も普通じゃない。普通の人間のはずなのに、あの吸血鬼の血を飲むなんて。
 上島先輩はこちらをちらりと見ると洗面台に移動して口元を洗っていた。あたし達が何もできないでいると、上島先輩はすぐさま扉の前で靴を履き、
「さよなら。あたしは降りるわ」
「琉美先輩!」
 崩れたままの拓也が叫ぶように呼ぶ。
「ありがとう……、ございました」
 今までにない優しさを含んだ拓也の声。二人の視線が交わされる。上島先輩の顔がほころび、
「さよなら」
 上島先輩は出ていった。
 もちろん誰も追わなかった。

 一一

「では、仕切直しです」
 食事が終わって食器を返してきたところで、白がそう言った。
 この一つのテーブルにはあたしを含む五人が連ねている。
 白が上座にいて、右側が拓也とリーちょん、左側があたしとブルー。
 緊張感のせいか、誰もお互いに目を合わせようとはしなかった。白を除いては。
「ねぇ、白ちゃん」
 あたしがおぼろげに口を開く。
「白ちゃんはあたし達に何をしてもらいたいの?」
 あっ、と白が小さく呟く。えっ、この子何も考えてなかった?
「仲直りしてほしいわけ?」
 リーちょんが口を開く。
「でも、それは無理よ。あたしたちの中ではもう決まっているから」
 呆れたような、諦めきっている声。
 もう、すべては吸血鬼とあたし達の間では決着しているようなこと。
 お互い、白にはすまない気持ちでいっぱいだと思う。あたしもそう。だから、白には関わってほしくない。
「でも……」
 パリン、と、テーブルの上の茶碗がまっぷたつに割れる音に、白の声は遮られる。誰も手につけなかったまま置いてあった茶碗だ。その技の主はあたしでなければブルーしかいない。
「白、早く出て行ってくれ。でないと、次は白がこうなる」
「嫌です。脅しなんて怖くありません。私が出て行っても、リーちょんと拓也はどうなるんですか! ブルーが殺すんでしょう」
 白は立ち上がり、リーちょんと拓也の間に入り、二人を肩からぐっと掴んだ。
「殺させません。拓也と……リーちょんは私の大切な……大切な仲間ですから」
 白の声が、だんだんとかすれてくる。
「私は……私は山本刑事の……娘ですから、……目の前で殺人なんて、……友達が目の前で死ぬなんて……許しません、……私、……白が許さないんですから……絶対、……絶対……」
 白の本気の訴え。
 あたしたちは仲間だった。
 だった。
 でも、今は違う。違っちゃってる。
「ずっと、……ずっと友達でいようって言ってましたよね……臨海学校の時だって、ずっと一緒じゃなかったですか」
 沖縄への臨海学校。あのときは、寝るとき以外は五人一緒に泳いで、五人一緒にバーベキューして、五人一緒に花火して、ずっと一緒だった。一緒に笑いあってた。
「私は……リーちょんと拓也がいい雰囲気になって、……楓とトールブルーまでいい雰囲気になっていって、……私は取り残されたと思いました。自分から身を引くべきかなと思いました。……でも、私はあなた達の所がとても居心地よくて、……そして、あなた達も私と一緒にいてくれた、……かけがえのない仲間ってこんなものなんだと私は知りました……知ったつもりです!」
 今年に入ってから五人でいるのが普通で、拓也とリーちょんがくっついて、だからじゃないけど、あたしは幼なじみのブルーと仲がよかった。でも、この五人の関係は崩れなかった。
「なのに、……なのに、どんな理由があって私たちの仲が引き裂かれるんですか! 吸血鬼だなんて関係ない。私がどうにかして見せます! 私たちは親友でしょう。親友に有効期限はないです」
「どうやるのよ」
 リーちょん突き放したような声。
「白なんかにこの苦労がわかって、解決できるんならあたし達は苦労してないわよ」
「それは、……どうにかします。だから、……私に一週間だけください。私は山本刑事の娘です。だから、どうにか、……だから、どうにか……」
 あたしだって、前の五人の関係に戻れるんだったら戻りたい。でも、それができないから、崩さなくちゃいけないから、もうそれは変えられない事実だから、あたしはそれを認めて、立ち向かうことで、白から離れることで、拓也とリーちょんを追うことで、それをやってきた、つもり、なんだけど。
「一週間か」
 口を開かなかった拓也が感慨深げに呟く。
「俺、死ぬ前にもう一度バスケやりたいなぁ」
 あっけらかんとしたその声に、注目する。
「オレもやりたい。拓也、勝負しようぜ」
 ブルーが突然そんなことを言いながら伸びをする。
「拓也とオレ、まだ決着ついちゃいなかったよな」
「よし、つけるかぁ。それから死ぬのも悪くはない」
「よっし。オレは決めた。一週間、休戦する。白ちゃんはその間にどうにか考えてくれな」
「あ、はい」
 拍子抜けした白の声。
「手始めに、卓球で勝負だ! 拓也!」
「望むところだ、トールブルー!」
 ふふ……。
 微かな笑いから始まり、そしてそれは五人を巻き込む。
 白は口元に手を押さえて笑っていたが次第にそれも離れてお腹を抱えて笑い出し、リーちょんはどこかあぱずれた笑い、拓也はニンマリを強くした表情で笑い、ブルーは大きな口を開けて豪快に笑い、そしてあたしもお腹を抱えて笑っていた。
 こんなに笑ったのはどれだけぶりだろう。あたし達が五人でいたときはいつもこんな風に笑っていた気がする。
 ちょっと前のことなんだけど、なんだかとても懐かしかった。
 でも、あたしはすぐにそれを認められるほど馬鹿でもなかったし、利口でもなかった。ブルーも同じで。きっと、拓也とリーちょんも同じに違いない。ブルーも口車が上手いな。

「の、のぼせる〜」
 あたしは長湯できるタイプじゃない。やっぱお風呂は少しぬるめじゃないと、あたしはダメだ。それに、一日に二度も風呂にはいるなんてあたしには考えられない。
「楓、つらかったら先にあがってもいいですよ」
「ごめん。先にブルーたちの卓球見に行ってる。リーちょんも、先行かない?」
「そうね、拓也も気になるし」
 と、あたしとリーちょんは先に温泉を出た。あたしはその風呂場と更衣室の鍵が誰でも開け閉めできることを入る前に確認していた。
 そして鍵をかけた時、意外と大きな音がした。
 あたしの腕が動かなかった。リーちょんに後ろから押さえられていたから。そして肩に妙になま暖かい感触。リーちょんの牙だった。
「ねぇ、一つ聞いていい?」
 リーちょんは答えない。肩口のしびれる感覚が広がる。
「あたしの血を吸ったの、リーちょんだよね」
「……どうして」
 か細い、リーちょんの声。
「あたしに届いた手紙、あのときは拓也の字だったから吸血鬼は拓也だと思った。でも、あれはリーちょんが拓也の時をまねて書いたものだった、違う?」
「違わない。やっぱり拓也の字とは違った?」
「ううん。そっくりだったよ。でも、拓也はあたしの血を吸ったのは俺じゃないって言ってた。そのころはまだお互いが吸血鬼だって知らなかったってこと?」
「……ううん。拓也、その前にあたしの血を吸おうとしてた」
「そうなんだ。リーちょんが吸血した時、あたしを殺さなかった。吸血鬼狩りだってわかったはずなのに。どうして……」
「怖かった」
 えっ。
「なんだか……すごく悪いことしてる気がして、とても怖かった。……楓を殺さなかったんじゃないの。あたしは逃げたんだから」
 密着したリーちょんから身震いが伝わる。
「そう」
 あたしはそれを聞いて、あたし自身をひどく嫌な奴に感じた。リーちょんは純粋に恐怖を感じている。人を殺すことに感じて。でも、あたしは一体? 殺しに何の感慨もなく、仲間がいなくなることだけを考えてた。人を殺すこと自体を、恐がれなくなっているあたし。
「ため息が出ちゃう」
 でも、そんなことは今はどうだっていい。
「お気楽ね」
 いつものおとぼけたリーちょんの声。牙は刺さったままだった。
「あたしの性分よ、悪い」
「悪いわ! それが人を殺そうとする人の精神? 笑っちゃうわ」
「笑ってよ、お互いに」
「フフン。そうね」
 会話はそこで終わった。
 永延二十分、あたしはリーちょんと裸で立っていた。動けばお互いにダメージを与えられる状態。それが解かれたのは、実は鍵は壊れていて、白があがってきたときだった。
「一体、何してるんですか?」
 白の明らかな軽蔑のまなざし。傍目にはリーちょんがあたしを抱いているという図になる。
「アハハ。ちょっとね……」
「二人とも、彼氏というものがいながら、……うらやましいですわ」
「白!」
「白ちゃん!」
 やっぱり白にはレズっ気が……、そうじゃなくて。やっと、リーちょんはあたしから離れる。
「うっ、寒っ。……クシュン」
 ずっと裸で立っていたせいか、風邪を引いてしまったみたい。リーちょんも同じようで、豪快にくしゃみしている。
 着替え終わった後、白はあたしの前に来て、真剣な目で見つめてきた。
「腕を出してください」
 あたしはしぶしぶ二本の腕を白の前に出す。
「ごめんなさい、縛らせてください」
 白は用意周到に白いロープを持ってきていた。仕方がない。やっぱり、白にはバレバレでした。
「……いいよ」
 手首を手錠のように結ぶのかと思えば、指の一本一本を動かないように縛る。それから両手首を縛る。白はちゃんと吸血鬼狩りの弱点を知っているみたい。日本政府もこのことを知っているってことだよね。
 武器を取り上げられた。その行為の意味は大きかった。
「いいザマね」
 リーちょんが口の端を上げてと笑う。
 あたしたちはブルーのもとへ行って、そして状況はすぐにわかった。
 テーブルの上の割れたラケットが伝えていた。
 それは、白も感じ取っていた。

 真っ暗な部屋に残される。
 白はあらかじめ多くの部屋を取っておいたようで、一人一人に部屋があった。この部屋にはあたし一人しかいない。
 布団に入ってはいるけど、手はロープで縛られたまま。だんだん痺れてきて、早めに寝てしまおうと努力している。
 けど、どうも寝付けない。
 ふと、戸が軽く叩かれる。微かに開き、それでも廊下の光が入ってきてまぶしい。
「入っていい?」
 すましたリーちょんの声。
 あたしは寝たふりを決め込もうとしたけど、リーちょんは戸を開けて入ってきたことを室内に急に入ってきた光が告げる。
 一瞬、やけに強い光が入ってきた。リーちょんは何か刃物を持っている。
 鋼糸を使うことができなければ、足で布団を大きくはねとばす。でも、あたしがせっせと立ち上がる前に、リーちょんは襲ってきた。
 鋭い何かがあたしの首筋にひんやりとした感覚と、痺れる感覚を与える。首筋が生暖かい、血が流れている証拠だった。
 布団に背中を合わせていてリーちょんはちょうどあたしに馬乗りになっている。リーちょんの見下した表情はすぐ目の前にあった。
 ……。
 続きを期待していた訳じゃないけど、それ以上の痛みは襲ってこなかった。
 殺さないの?
 あたしの声は微かに怯えていた。
「殺したい」
 いつになく低くしたうなるような声。
「殺せばいいじゃない」
 あたしは言ってしまってから心の中ではっとした。きっと睨んだリーちょんの表情があった。
「殺せない。楓も死にたくないでしょ」
 あたしを心配してくれるの?
「楓を心配しているのはあたしじゃない。拓也の方よ」
 どういう……こと?
「拓也が言ってた。あのとき、拓也は何でもっと反論しなかったんだろうって。拓也、自分で吸血鬼だと白状したんでしょ」
 そう言われれば、あのときのあたしはまだ証拠も何も押さえていなくて、感情ばかりが先走りして……なのに拓也は吸血鬼だと認めた。拓也自身の方から。
「あの時拓也、本当に自分が死んでもいい、そう思ったって」
 ……でも、逃げたよ。
「当たり前よ。殺されたいの? 拓也のこと悪く言わないで」
 ……意気地なし。
「言わないで」
 生まれてこなきゃよかったのに。
「言わないで!」
 いっ。首筋の痛みが増す。
「もう少し力を入れたら、死ぬよ、楓!」
 学校の理科室で翼を広げたときと同じ、リーちょんの声。偽りない憎しみの混じっているように感じる。
「……殺せばいいじゃない。どうして殺さない。あたしをもっと恨んでよ。あたしを持って憎んでよ。あたしをもっと嫌いになってよ」
「……本当にそう思ってるの?」
 思ってる。そじゃないと、あたしはリーちょんも拓也も殺しにくいもの。
「だったら殺さないで」
 殺したい。
「だったら殺しなさいよ」
 まず手の縄、解いてよ。あたしなら、苦しむ間もなく殺してあげれる
 あたしは頑張ってニヤリと笑った。
「怖い子。いつからそうなったの、楓は」
 産まれたときから。
「違う。ほんの一ヶ月前は違った。手を血で染めるとは思えないそんな子だった。ちょっとガリ勉で、何事にもまじめで、いつも楽しくて」
 ……ありがとう。
「楓になんかお礼言われたくない」
 ……どう思ってるの? 自分が吸血鬼に産まれたこと。
「子供の頃は鳥みたいに空が飛べてうれしかった。今は疎ましい。こんなつらい思いすることはなかったのに」
 ……あたしも同じ。こんなつらい思いすることなかったのに。
「だったらいいじゃない。二人仲良くなっておしまいで」
 できない。あたしは認められないから。
「認めなさい」
 できない。
「認めなさい」
 ナイフがわずかに動いて、さらなる痛み。
 ……できない。もし認めたら、リーちょんはどうするの? 誰の血を吸うの? 脅して、やっぱりあたしから?
「……」
 あたしの血、吸っていいよ。吸血鬼狩りはエサになるわけ? 違う。だから認めることなんて無理。
「……」
 誰だって吸血されたくない。献血じゃないんだよ。その総意をかってあたし達が動いてる。
「……だったら、あたし達吸血鬼はどうすればいいの? ただみんなのため、未来のために恋もせず死ねって言うの? 人権は?」
 吸血鬼は人じゃない、人権なんてない。
「……そんなこと言われたら、……自分がなんなのかわからなくなってくる。生きる価値がわからない。楓は……楓は生きる価値を見つけられたの?」
 凄みを利かせて言ってやる。
 あなたたち、吸血鬼を殺すこと。
 ここぞとばかりに唇をつり上げるリーちょん。こんなになまめかしいリーちょんの表情は初めて見る。
「それってどうなの? みんな一般人は吸血鬼の存在を知らない、それなのに守ってあげる? 望まれない願いを元に、ただの人殺しを楽しんでるだけじゃない?」
 違う!
「どう違うの? 言い切れる?」
 全然違う! 吸血と吸血鬼殺しは違う。
「そう違うわよ。吸血はちょびっと血液をいただくだけ。吸血鬼殺しはあたし達の命、すべての血液をいただく行為。全然違うわ」
 うるさい! 黙れ!
「黙らない! 殺人鬼! 殺人鬼ッ! 殺人鬼ッッッ!」
 うるさい! 五十歩百歩じゃない!
「あ、それ、吸血鬼も吸血鬼狩りも初戦は一緒だって認めてるわ。フフ」
 一緒?
「そう、一緒。憎らしいほど一緒」
 違う! 違うこと証明してやる!
「無理、違わないもの」
 吸血鬼は生きるために吸血してる! あたし達は違う!
「違わない。吸血されたくないという願いのために吸血してる。吸血鬼が生きるためにしても、楓は何? 生きるためじゃない。ただ安定した生活を杞憂に望むばかり? くそったれよ」
 出てって。
「今あたしの方が上だってわからないの? 身分をわきまえなさい」
 何? 友達なのに、身分をわきまえるわけ? おかしくない?
「こんな時に限って友達ヅラ?」
 そう友達、だったんだよ。一度戻るんでしょう。ただの友達に。
「ただの友達? 元親友じゃなかったの?」
 親友……、懐かしいね。
 瞬間、リーちょんの表情が固まる。そして顔が崩れる。
「懐かしい……そうね」
 リーちょんの涙を見た時、あたしになにか暖かいものが広がってきた。
 懐かしい……どうしてだろう。
「忘れられない……。結局は」
 親友だった、……もんね。
「それって今も有効かしら?」
 どうだろ。
「でも、今日白が言ってなかった? 親友に有効期限はないって」
 じゃあ戻ろう。ただの中学生に戻ろう。一日だけ。

 SIDE トールブルー

「あっ、いた」
 自動販売機コーナーで缶ドリンクをあおってるのは拓也だった。
「何飲んでんだよ。はっ? ビール?」
「美味いぞ。トールブルーも飲むか」
 ちょっと赤い顔をしてやがる。
「オレ、飲んだことないんだけど」
「何事も経験だ。飲め飲め」
「それ、酔ったおじさんのセリフ」
 拓也の隣に腰掛ける。ビールの缶を差し向けてくる。
「俺、両腕ふさがってるんだけど、解いてくれる?」
「……」
「やっぱ、ダメ?」
 そっぽ向いてまたビールをあおる。
「そうだ。トールブルー、横になれ」
「へっ?」
「俺が膝枕してやる。飲ましてやる」
「へいへい。ごちそうさま」
 と、拓也の缶に口を近づけ、缶の縁を噛み、持ち上げる。流れ込んでくるビール。
「うへっ」
「慣れないことするからだろ。バーカ」
「ちょっとうがいしてくらぁ」
 拓也に負けた気がする。コノヤロ。
 トイレはすぐにあった。中は真っ暗だった。こんな時間だし、当たり前か。
 電気のスイッチに肩をぶつけて付ける。
 洗面台の前に来たところで、今頃だけど重要なことに気づいちまった。
 蛇口がひねれない。
「拓也ぁ」
 しばらくして、むっつり顔の拓也が現れる。
「蛇口がひねれない」
「バーカ」
 拓也がひねってくれた蛇口に口を近づけ、二度ガラガラうがいをする。
「ふぅ」
「変わってないな」
 オレの馬鹿なところが変わってないってか? 手厳しいことで。
「あん。そりゃ変わらないっしょ」
「そうだな」
 また、自動販売機コーナーに戻ってくる。
 拓也は財布を口にくわえて、苦労して片手で小銭を取り出す。
「そういや、拓也、片腕ないんだったっけ」
 それを投入口に入れて、今度はコーラを買う。
「そうだ」
「不便?」
 取り出し口から出して椅子の上に置き、両足で缶を押さえて、右腕だけでどうにか缶のピックを起こす。
「当たり前だ」
 だいぶ手慣れたもののようだ。
「でもな、吸血鬼ってのは腕や足くらいならしばらくしたらまた生えてくるんだぜ。ほら」
 空っぽだった左腕の袖を捲し上げる。
「なんだよそりゃ」
 左肩から丸い芋みたいなものが生えている。
「左腕の赤ちゃん」
「ふーん。トカゲみたいだな」
 馬鹿にされたとでも思ったのか、ジト目でこちらを睨む。
 ふと、その隣のゲームコーナーに目をやる。
「やるか?」
 拓也が誘ってくる。
「やりたいけど、これじゃなぁ」
 拓也に結ばれた手首を見せつける。
「似たようなもんだろ」
「足でやれってか? そーだな。よし、拓也も足でやれよ」
「望むところだ!」
 ストリートファイターⅡ。昔はよくやったもんだ。
 どうにかポケットから財布を取り出し、落ちた財布から拓也が百円玉を投入してくれる。
 ファイト!
 機械が向かい合うタイプじゃなくて横に並んでるタイプでよかった。オレも拓也も壁に背中をつけて両足を使う。
 意外と良い勝負になった。が、結局俺のリュウは拓也のガイルに負けた。
「次はぷよぷよで勝負だ!」
「望むところだ!」
 隣のゲームの台に移る。
 拓也が俺の分を含めて二百円投入する。
 ファイヤー、アイスストーム、……ばたんきゅ〜。負けたぁ〜。
「拓也! もう一回!」
「何度やったって同じだ」
 なんて言いながらも拓也は二百円投入する。
 そしてオレは再び負けた。
「あん。拓也、強いっすね〜」
 前もそうだった気がする。拓也はそんなにゲームをやらないくせに、なぜか強かった。俺が拓也に勝ったゲームといえば、マリオカートぐらいか。
「なぁ、トールブルー」
 ゲーム画面から目を離し、宙を向いたまま問いかける。
「なに? もう一回やる?」
「もし、俺が今ここから逃げたら、追ってくるか?」
「追わないよ」
「……どうして」
「オレはまず男として拓也を軽蔑するね。リーちょんを置いてくなんてな」
 オレだったらそんなことは絶対にしない。楓がいるから。
「そりゃそーだ。リーちょんは置いてけねぇな」
「なぁなぁ。拓也とリーちょんはどこまで行ったの。キスした?」
「……馬鹿」
 俺からわざと目線そらして、照れてやがる。
「無言は肯定と見なす」
 その目線が返ってこない。ってことは……
「本当にキスしたのかよ。拓也!」
「あぁ」
 うわっ。ホントに肯定しやがった。
「トールブルーはまだだな」
「まだ片思いだからね」
「……」
「黙るなよ」
「じゃあ、俺たちって親友だよな」
 突然何を言い出すんだか。
「ちがうな。それは過去の話だ」
「本当は今でも親友のはずなんだけどな。でも、運命ってやつが許してくれないんだな」
 ここは間伐入れずに。
「拓也に運命なんて言葉は似合わないな」
 黙る拓也。間が悪かったか?
「笑ってよ」
「……大いに笑えるぜ、トールブルー」
 これが男の曲がった友情。やっぱオレ達はバカだ。

 一二

「今日は久々の全員出席だな。黒木先生はうれしいぞ」
 あたし達は学校に戻ってきた。
 クラスメイトに質問攻めにあったが、あたし達はとぼけることでやり過ごした。
 リーちょんはどうやら本格派コスプレに目覚めた、らしい。拓也は冷蔵庫に腕を挟んだ、らしい。白は父親に花嫁修業ならぬ刑事の修行を受けていた、らしい。
 トールブルーとあたしは愛の逃避行と三人がはやし立てて納得された。うれしはずかし。
 一週間だけの普通。
 一週間だけの仲間の再開。
 この一週間だけはこの五人で生活していたことの喜びだけを感じて、使命なんて関係なしで一緒にいたい。
 一週間と聞くと長そうに思えるけど、この間にできることは少ない。
 この五人でやりたいことはたくさんある。
 その一つ一つを、順番にこなしていった。

「ファイト、ブルー!」
 校庭の隅に取り付けたバスケットゴールで、スリーオンスリーをやっている。片方は拓也のチーム、片方はブルーのチーム。文字通り、拓也とブルーのバスケット勝負というわけだ。
 ブルーは不公平だと言って左手をずっとポケットに入れたままにしている。
 ブルーがボールをキープしている。パス、パス、ドリブル、シュート、あっ拓也がカットした。
 パス、パス、カット。
 パス、ドリブル、パス、ブルーにボールが回った、そこだ! シュート! ミス、リバウンド、よし、パス、パス、ブルーに回る、シュート! あちゃ、拓也にカットされる。片腕とは思えない拓也のプレイ。
 パス、ドリブル、パス、パス、拓也にボールが回る、パス、よしブルーがカットした。
「拓也! 負けるんじゃないよ!」
 横でリーちょんが声を張り上げる。
「拓也のステキな写真を一面にしてやるんだから」
 カメラのフラッシュが二人の試合をあおっている。
「私はどっちを応援すればいいのでしょう。……二人とも頑張れ!」
 白はあたしとリーちょんに比べて控えめながらも応援している。
「ブルー、負けるな!」
 この声、ブルーに届いたかな。

 SIDE 拓也

「拓也! 負けるんじゃないよ」
 負けてたまるかってんだ。
 荒川中のエース二人組ってんだ。
 いつもいつも二人組って言われ続けて、俺とトールブルーの勝負というのはこれが初めてだ。
 両方とも片腕。その辺は公平だけど、俺の方が身長で勝ってる。
 リバウンドいただき!
 よっし、こっちの番だ。
 パス。
 右に回って、パスを受けて、狙い目! シュート!
 くそっ、トールブルーにカットされる。
「負けねぇ」

 SIDE トールブルー

「負けねぇ」
 こっちもな。
 そろそろ、オレ様の出番。
 パス、パス、ドリブル、ゴール下をキープ、パス、ナイスな位置、シュート! かっ、拓也!
 オレの方が慎重低いんだよ。悪かったな。
 ええい、リバウンド狙い! ゲット、再度、シュート。
 決まった!
「よっしゃ」
 十和田先輩譲りのキメポーズ。
「ブルー! 今日のブルーはかっこいいよ」
 よし、よし、よしよし。
 このまま拓也に勝つ!
 パス、パス、カット。カッ!
 パス、ドリブル、パス、拓也にボールが回っちまった、拓也のシュート、させるかぁ!
 スポッ。
 拓也の長身の前に破れる。
「キャ、キャ。タクヤ〜」
 あんなのろけたリーちょんみたの初めてだ。

 SIDE リーちょん

「姉御! 届きました」
 新聞部後輩が写真部に現像してもらった写真を持ってくる。
「今日の一面は荒川中バスケ部の二大スターの特集記事でいくわよ! いいわね!」
『はい!』
 全員一致で、今日の一面が決まる。
「雪恵は写真の引き伸ばしやって。文章はあたしが考えるから、高橋はくんはレイアウトをお願い。雨音ちゃんは二人の過去の資料から簡単なプロフィール書いて。今日のシメは六時半よ。みんな、わかった」
『はい!』
 先輩達がみんな高校入試のために引退してから、新聞部の編集長(部長)はあたしになっている。
 しばらくあたしがいない間、新聞部は廃刊の危機だったようで、でもあたしが戻ってきて再び活気を取り戻したようだ。
 結局二人の試合は終わらなかった。時間とともに、二人の仲間がへばって、拓也とトールブルー二人だけで続けていたけど、結局へとへとになって倒れた。
 その間にあたしはフィルムを四つも使い切ってしまい、さすがにもったいないと思ったけど、楽しかったからよしとする。
 さて、どれだけ拓也をひいきに書こうかしら。

「こんにちわ」
 初めて生徒会室に足を運ぶ。ブルーも一緒。
「やぁ、岩山に青高じゃないか」
 そこには上島先輩がいた。それと拓也も。
「何があったのか知らないけど、もうあたしは関わらせないでおくれよ」
「わかってますって、上島先輩。あと、これ、生徒会に差し入れです」
 と、持ってきたスチールパックを開いてみせる。今朝、頑張って焼いたクッキーが、もう冷めてるけど美味しそうに乗っている。
「へぇ、岩山が作ったのコレ?」
「そうです。先輩に迷惑かけたんで、ちょっとしたお詫びですが」
「あたしを買収しようって?」
「やだな、先輩。そんな言い方しないで下さいよ」
 あれから上島先輩と親しくなった。先輩の趣味はお菓子作りだそうで、そこで話が会った。この前、上島先輩のお宅におじゃまして、先輩の自慢だというチーズケーキを食べさせてもらった。
「なぁ、拓也。楓ってあの人とそんなに仲良かったか?」
「知らない。何かあったんじゃないか」
 男どもがなにか話してるけど無視無視。
「じゃ、上島先輩、お仕事がんばってください。先輩はいつ引退なさるおつもりですか?」
 何気ない質問。先輩も三年生なんだし、そろそろ受験体制に入らないと危ないはずだ。
「そうねぇ、明日にでも引退しようかしら。拓也クンに全部押しつけて」
 と、いたずらっぽい笑みを拓也に浮かべる。
「琉美先輩、それはひどいですよ」
「拓也、お前も大変だなぁ」
 ブルーが人ごとのように言うけど、それに上島先輩が追い打ちをかける。
「あと拓也クンの分の原稿は三十枚、あたしの分の原稿が十二枚、今年中に済ましちゃってね、拓也クン」
「……はい」

 SIDE 白

 私は仲間を救うことをすでに諦めていたのかもしれません。
 一週間かけて私は刑事の父や、大学教授の叔父を頼って研究するつもりでした。
 でも、できません。
 この五人の仲間の中から抜けて研究しなければならない。
 わかっているんですが、できないんです。
 仲間の中、ここはとても居心地がいいのです。
 一緒に笑って、遊んでいるこの時間が幸せすぎて、失った時間があった分かけがえのないものに思えてしまって。
 できないんです。
 時間は私の焦りも無視して、黙々とすぎていく。
 一週間しかないのです。
 私は……どうすればよいのでしょうか。
 最後の一週間だと思って、今の時間をただ純粋に楽しむべきなのか。
 最後の一週間だと思って、あるかどうかもわからない解決策を模索するべきなのか。
 私は後者をとるべきだとわかっているんです。でも、私は前者をとってしまうのです。

「肉焼けたぞ」
「待ってました!」
 もう北の方では雪が降っているらしいけど、あたし達は白の家の庭でバーベキュー。白なんてマフラーしてるけど、あたしはまだまだ元気。
「ブルー、拓也、笑って」
『おう』
「はいチーズ!」
 ブルーと拓也のエプロン姿のツーショットなんてなかなか撮れないよね。一応、バスケ部の二大スターなわけだし。
「うまく焼けてるわね。美味しそう」
 一番に肉を奪ったのはリーちょんだった。
「リーちょんずるい。オレもいただきっ。あぢっ!」
 ブルーはその肉が熱かったらしく、取り乱してしまう。
「はんごうの方もそろそろ良さそうですわ」
「とびっきりのカレーができてるよ」
 カレーはあたし担当、白は飯ごう担当、バーベキューは男の子二人が担当、リーちょんは男の子二人に焼き方の指導してる。
 なんだかんだ、実はもう最終日。最後の晩と言うことになる。
 コレが最後の晩餐ってやつ? まぁ、いいけど。
 あたし達五人は一週間ずっとこうやって過ごしてきた。一週間の間、カラオケにも行ったし、買い物にも行ったし、ボーリングにも行った、海にも行ったけど泳げなかった。
 もう、十分、だよね。
 五人でいるのは十分、だよね。
 今はとっても楽しいけど、もう十分だよね。
 あたしはこの思い出を忘れられるよね。
 あたしは明日、拓也とリーちょんを殺せるよね。
 もう何があっても怖くないよね。
 何があっても許せるよね。
 吸血鬼狩りの運命をまっとうできるよね。
 もうすぐ全部終わるよね。
 五人はなくなっても、悲しくないよね。
 この楽しい思い出を捨てられるよね。
 あたしにはブルーがいるよね。
 大丈夫、だよね。
「ねぇ、ブルー」
「なんだ?」
「大丈夫、だよね」
「なにがだよ?」
「もう。大丈夫、だよね」
「だから、なにがだよ?」
「大丈夫って言って。お願い」
「……大丈夫だ」
「うん」

 一三

「私は結局なにもできませんでした」
「ありがとう。十分だよ」
 あたしはできる限りの笑顔で、白ににっこりとほほえむ。
「私はここからあなた達を見守らせてもらいます。もう介入はしません。あなた達がなにをしようとも、私はもうなにも言いません」
「ありがたいな」
 拓也がぼそっと言う。恥ずかしそうに。
「私は拓也とリーちょんが逃げて、一時間後に楓とトールブルーの手を離します。いいですね」
「そのセリフは何回も聞かされたよ」
 ブルーがにこやかに言う。
「では、リーちょんと拓也、行ってください」
「うん。白、今までお世話になったわ。楽しかった。さよなら」
 リーちょんの言葉と同時に拓也とリーちょんは翼を開く。
「またな、とは言わない。さよならだ」
 白はそれには返事はしなかった。そして、二人の姿は遠くに消えていった。
 寒空の中、一時間待った。とても短く感じた。
「では、行ってください」
 白が手を離す。
「私たちは飛べる訳じゃないから、自転車取りに家に帰るんだけどね」
 あくまでほほえみを絶やさないように努力する。
「もう、ここには帰ってこないつもりだ。こことは別の場所で暮らすことにする。楓と一緒に」
 ブルーもほほえみを絶やさない。
 突然だった。
「早く行ってください! 早く! 早く私の前から消えてください」
 驚きの前に、白が泣き出している姿を見て、感情が押し寄せてきたけど、あたし達はそれを見ないことで解決するしかなかった。

 やっと拓也達を見つけたのは十二月の中旬だった。
 拓也の親戚の線で調べていった。その結果たどりついたのがここだった。
「ヘイラッシャ……イ」
 普通にラーメン屋でラーメン作ってる二人。それはあたしの知っている拓也とリーちょんだった。
 拓也はラーメン作りの作業で、茹でたり、湯切りしたりする作業は片腕の拓也がやって、そのほかの作業はリーちょんがやっている。二人で一つのラーメンを作ってる感じがする。
 人前で働かれていては殺すことなんかできやしない。
 あたし達はラーメンを注文しても、全く手を付けずに、他の客がすべていなくなるのを待った。店主のおじさんはずっと厨房にいるわけではないようなので、そのときを待つことにした。
 客がいなくなって、おじさんが奥に引っ込もうとしたとき、ブルーはあたしに合図した。
 拓也のリーちょんに合図したらしく、おじさんが抜けると同時にのれんをくぐって外に出て行った。
 あたしは言われずとも続いて外に出た。翼を広げ、空に羽ばたく二人があった。
 用意してあったマウンテンバイクに乗り、二人を追いかける。
 縮まりそうで縮まらない距離。でも離されていなかった。
 そこは田舎町だった。小さな商店街を抜けると、すぐに山の中に入った。
 道なんかない。山の上を吸血鬼は抜けていくけど、あたしたちはマウンテンバイクのまま突き進む。
 もうこのあたりは注意しなきゃいけない電線も、気にしなくちゃいけない人もない。思う存分鋼糸が扱える。
「楓。今日中に決着をつける。いいだろ」
「うん。吸血鬼はそんなに長くは飛べないから、そろそろ降りてくる頃だね」
「今晩休んでいる時を狙う」
「いよいよだね」
 そう。いよいよなんだ。
 九月の中頃から吸血鬼を追い続けて、もう十二月の中頃だから、三ヶ月あまりになる。
 今思うと、本当に長くて辛かった。
 あたしたちは吸血鬼の二人が山に降りたのを確認すると、音を立てないようにゆっくりと歩き始めた。

 SIDE リーちょん

「寄り添っていい?」
 拓也の返事も聞かずに、拓也の方にあたしの肩をくっつける。
 本当に寒い。十二月も中頃って言うのに毛布も持たずに野宿するというのは普通の人には危険かもしれない。でも今はそれしかないし、あたしたち吸血鬼は実は普通の人よりは少し丈夫にできてるのよ。死にはしないわ。
 ラーメン作りながらも、一応すぐにでも逃げられるように荷物の準備はしてあった。それでも、寝袋は入れてなかった。中に入れておいた使い捨てカイロを取り出して、体を温める。
 食べるものとして、缶詰やらお菓子やらを入れておいた。カンパンをつまんで食べる。どうしてカンパンはこんなに味がないのだろう。
 突然、拓也があたしを覆った。あたしもそれに答えた。
 なんだか、とても儚い。
 まるであたしたちは殺されることが決まっているような。今という一瞬がもう手に入らないような。そんな悪い発想ばかりで、あたしは拓也を貪りながらそんな自分に嫌になった。
 あたしにとって今までとは何だったんだろう。
 初めて吸血したのは中学二年の時。思春期とともにその症状が現れる。あたしは親に教えられてはいたけど、気がつけば本能に任せて友達の一人の肩に食らいついている自分に気づいたとき、とても自分の存在が怖くなったのを覚えている。その後その子は転校したけど、どこに行ったのかは知らない。
 それから、毎年一度は吸血をした。そうしないと、自分が変になっていくのが怖くて、クラスメイトや親友をだまして吸血をした。
 それは確かに辛いことだけど、もう割り切ってしまったら、何でもなくなった。吸血した友達も、それで友達解消なんてこともなかったし、今まではうまくやってこれたんだ。
 そして、今年、あたしは楓に吸血をした。それが間違いだったんだ。
 こんな辛い思いをしなくちゃいけない。自分が吸血鬼であることをこんなに呪ったのは初めてだった。
 怖いけど、怖いけど。
 でも拓也がいるから、頑張れる。
 同じ境遇で、好きな拓也がいるから頑張れる。
 拓也、ありがとう。

 SIDE 拓也

 心細かったんだ。二人でいても心細かったんだ。
 俺は耐えきれなかった。
 親友の二人が襲ってくるこの状況を。
 何かでごまかさないと。
 俺はダメだ。
 ダメ人間だ。
 強引にリーちょんからキスを奪う。この行為に愛情なんかあったもんじゃない。俺自身に対する慰めだ。
 何だっていい。今のこの気分を紛らわせたい。
 そのためにリーちょんを使うのは悪い気がしたが、俺の恐怖がそれに勝る。
 死ぬことを、人の顔をこれほどまでに怖いと思ったことがあっただろうか。なかったと思う。
 俺は必死だった。
 生きることよりも、今のこの恐怖から逃げ出すことに精一杯だった。
 そう思うと、こいつ、リーちょんは精神的に強い。だから俺は頼ってしまう。
 俺は……もう、死んでしまってもいい、なんて思ってる。
 リーちょんはそんなこと毛頭思わないだろう。
 まあ、いい。
 今は俺は考えることをやめることができる。
 リーちょんにすべてを任せればいい。俺は恐怖を忘れることだけを考えればいい。
 そう思うと、簡単なことじゃないか。
 明日になれば、リーちょんが行き先を示してくれる。リーちょんが俺の元を離れることはない、リーちょんはこんな俺でも好きでいてくれるから。
 ……それって本当か?
 ……もし俺が吸血鬼じゃなかったら、それでもリーちょんは俺を好きでいてくれるのか。
 わからない。わからないけど。
 今はどうだっていい。
 リーちょんの元は居心地がよすぎる。どんどん甘えたくなってくる。リーちょんに悪いってわかっていながらも、俺を責めたくなりながらも、今の俺は……
「拓也、カンパン食べる?」
「もらう」
「美味しい?」
「味がない」
「贅沢言わないの。言葉だけでも、美味しいて言っとかなくものよ」
「……美味しい」
「うん。よくできました」
 リーちょんの笑顔。
 俺はリーちょんに笑顔を見せているのか?
 リーちょんだけは守りたい。それが唯一のオレの仕事だな。

 時計の発光機能を使って時間を見ると、もう深夜十二時をすぎていた。
 この山に入ったのが夕方四時として、もう七時間も飲まず食わずで散策していることになる。
「そろそろ休憩しない?」
「いや、まだだ」
 あたしの提案もブルーにすぐに却下される。ブルーが言うには、なんとしても今晩中に決着をつける、だってさ。
「こんな広い山の中で見つけるなんて無理だよ」
「でも、二人が降りた地点から探してるんだから、そんな遠くにも行ってないだろ」
「そりゃあ、そうだけど。何か作戦でもないと……」
 さっきからいろいろ考えてるけど、よい案は浮かばない。
「作戦とか、頭のほうは楓の仕事だろ。オレは肉体専門」
「さっきからずっと考えてる。……でも、ちょっと休憩しよう」
「……そうだな」
 木の幹にブルーで腰を下ろす。あたしは寒いので、なるべくブルーに近づく。
 改めて辺りを見回してみる。木にはもう葉がついていなくて、辺りは月明かりで照らされていて、それなりに明るかった。熊ならもう冬眠している季節。ここで野宿しようとするなんて、生身の人間には危険なことかもしれないなんて思う。
「食べよう」
 リュックからポテチの袋を出して、広げる。ちゃんと水筒や寝袋なんかも持ってきているから、山に行くスタイルとしては完璧なのだ。氷砂糖もある。
 水筒からお茶を注ぎ、飲む。
「暖かい」
 コップを持ってる手でさえ暖まる。
「……今日はこれ以上探せないかもしれないな」
 さっきまであんなにもやる気だったブルーがぼそっとつぶやく。あたしがそうさせちゃった?
 昼間は日が当たって風もそんなになくて大して寒くはなかったけど、夜になってだいぶ冷えてきた。風がないのが唯一の救いになっている。
「でも、あたし動いてないと凍えちゃいそう」
「寝たら死ぬぞ。これはマジだ」
 ブルーの冗談が冗談に聞こえないくらい寒かった。動くに差し支えない程度の防寒具しか着てこなかったのも悪かったんだと思うけど。
「やっぱり今晩中に決着つけなきゃダメじゃん。ミイラ取りがミイラになるよ」
「それもそうだ。とりあえず、三十分休憩な。じゃあ、作戦のほうバッチリ頼む」
「一応考えてみるけど、ブルーも考えてよ」
「あいよ」
 とは言っても、別に期待はしてないけどね。
「こっちが探さなくても向こうから出てくる作戦とかないか」
「あったらもう言ってるよ。えっ、でも、向こうから出てくる、追いつめる、捕まえる。あっ、できるかもしれない」
 そんなによい案じゃないとは思うけど、鋼糸が使えるからこそできる技。
「ホントか?」
「たぶん。やってみよう」

 SIDE トールブルー

 楓は楓で豪快なこと思いつくなぁ。
 鋼糸というのは結構長い。一度に投げられるのは十メートル程度だけど、指に絡まっているのはつながっている一本の糸な訳だから、それをのばせばどのくらいの長さになるか。実は両手合わせて三百メートルくらいになる。それでもその糸は極細で、すでに皮膚の一部に近い状態になっているから、全然わからない。
 楓が言うにはオレはおとり役だそうだ。
 多くの木を一度になぎ倒して大きな音を立てる。すると、二人はそれと反対方向に逃げるだろうから、その先をぐるっと楓の鋼糸が張り巡らされている、という訳らしい。
 別々の行動だけど、二人を見つけたらロケット花火をあげることになっている。
 じゃ、オレは楓を信じて作業に徹するだけ。
 両腕、両指を巧みに動かす。もうこの辺は適当でいい。大きな音さえ立てばいいらしいから。
 うおりゃぁぁぁぁぁ。
 堅いものが捌く感触。でも、鋼糸の敵じゃない。
 連続して木が倒れ、粉塵が舞う。それがはれると、一気に丸裸になった斜面が現れる。
 これでいいんだろうな。ただ自然破壊しただけのような気もするけど。あと、人が集まってこないことを願いたい。
 その刹那、オレの背後で高い音が鳴る。振り返ると、空高く細い花火が上がっていた。
 やべ、あんま見てなかった。でもあの辺だろ。
 でも、すぐにその場所はわかった。空に二つの影が映ったから。あれは二人に違いない。
 俺はにリュックを置きっぱなしにして、走り出した。

 SIDE リーちょん

 考えればすぐに囮だってわかったはずなのに。あたしは恐怖のあまり駆けだしてしまっていた。あたしのバカバカバカ。
「待ちなさい!」
 懐かしい声がする。毎日のように聞いていた楓の声。
 もう翼の筋肉が悲鳴を上げるくらいクタクタだけど、今は飛ぶしかない。
 急上昇。どう考えても、あまり長くはもたないし、そんなに高くも飛べない。
「待ちやがれ」
 今度はトールブルーの叫ぶ声がする。
 その瞬間拓也の手に引かれて急上昇する。
「危ねぇ」
 そっか。拓也には二人の鋼糸が見えるけど、あたしには見えない。あたしはコンタクトをしているくらいだから、拓也のような度を超えた視力は持ち合わせていない。
 拓也に何度も引かれながら、あたしに見えないのがもどかしい。
「一度降りないと、空中は丸見えで不利だし、あたしそんな飛んでられる自信ない」
「降りられるような場所があるかよ」
 怒鳴るような拓也の声。
 本当に、死ぬかもしれない。でも、拓也と一緒に死ねるなら、まだ幸せかもしれない。

 一四

 SIDE 白

 四人が山の中に入ったと父の部下から聞いて、私はすぐにヘリコプターの準備をさせました。
 とうとうこの時が来てしまったんだなと思いました。
 干渉しない、確かに私はそう言いました。でも私にはそんなことできませんでした。
 ……せめて、見届けさせてください。
 どんなに悲しい結果が待っていても、私は見届けてあげたい。
 私は……楓、リーちょん、拓也、トールブルー……、四人の仲間だから。
 唯一の関係者だから。
 本当に四人のこと思っているから。
 止めたい……。
 でも、それは四人を傷つけるだけ。
 私は第三者だから。
 外で見ていることしかできないはずなんですが……
 止めたい……。
 四人はもう傷だらけだから、私が癒してあげたい。
 でも、それはさらに傷を付けるだけ。
 私などいなくなって、そっとしておけばいい。
 四人のことなんて忘れてしまえばいい。
 もう元には戻れないのだから。
 それでも、私は本当に四人を思っているから。
 どんな結果になったっていい。
 元に戻れなくていい。
 でも私たちは五人仲間だったのは忘れたくない。
 お願いです。
 私は関係ないのかもしれません。
 あなた達は私に関わってほしくないのかもしれません。
 でもあなた達は私にとって大切な仲間。
 だから少しでも手伝わせてください、あなた達の仕事に。
 手伝えなくてもいいです。
 でも……。
 見守らせてください。
 最後までつきあわせてください。
 私は邪魔はしませんから。
 最後まで一緒にいさせてください。
 あなた達がどんな風になっても私は受け止めます。
 友達として、
 本当に大切な友達として、
 私にあなた達を見届けさせてください。
 私のことは忘れてしまってもいいですから。
 私を殺してしまってもいいですから。
 私のわがままを。
 どうかお願いします。
 ……わたしはあなた達が大好きです。
 ……っと、ずっと大好きです。

「白!」
 いきなり現れたヘリコプターから半身を乗り出していたのはどう見ても白だった。
 しかし、白もそこまで考えてなかったと思う事態が発生した。
 ヘリコプターの気流により、拓也とリーちょんははね飛ばされるように飛んでいった。
「白! 一体何やってるの!」
「あっ」
 白が何しに来たのかは知らないけど、あたしとブルーは無視して吸血鬼を追う。
 枝やなんかで体に傷がついても、それにかまっている暇はない。
 そして、ついに吸血鬼の二人を追いつめた。
 その先は見上げる崖になっていて、吸血鬼二人の行く先を塞いでいる。ここで飛んでも、長くのびる鋼糸で捕らえられる。殺せる。
 ついに、この時が来たんだ。
 縮こまり、死を覚悟したかのようにあたしたちを見つめる吸血鬼の二人。
 後は、この腕をおろすだけで、二人の首が飛ぶ。
 その時だった。白が再び現れたのは。
「帰って!」
 白に向かって怒鳴る。
「白には関係ない。帰って!」
「そうだ。白、帰ってくれ!」
 ブルーも言う。
 当の白は、何かを決意したかのように口を結んだまま、立ちつくしている。
「お願い、帰って!」
「……み、見守らせてください」
 えっ。
「お願いします。見守らせてください。わ、私は何もしませんから」
 はっきりとした白の声。
「白にはいてほしくない。帰って!」
「お願いします。見守らせてください」
 今までになく真剣な白の声。
「白には関係ないから」
「関係あります。だって、私たち仲間だったでしょう。仲間の最後くらい、見守らせてください。お願いします」
 この時初めてわかった。白は生半可な気持ちであたしたちに関わろうとしているのではないことに。
 だけど……、だけど……。
「白ちゃん」
 その声の主をあたしは見た。リーちょんだった。
「しろちゃん、こっち来て、早く!」
 脅迫するようなすごみのある声で、白に呼びかける。
 白は……とぼ、とぼと歩き出していた。
「白! 行っちゃダメ!」
「白ちゃん、来て!」
「白! 行くんじゃない!」
「白! 来い」
 四人全員が白に呼びかける。さっきとはうって変わって正気を失ったような白の表情。この異様な状況に、白の精神が滅入ってしまったよう。
 ちょうどあたし達と吸血鬼の間に白が来る。これじゃ、鋼糸が撃てない。
 卑怯な。白を盾に使うなんて。
「私、私……」
 うつろに、白がつぶやく。
「もう……だめ……、です」
 操り人形の糸が切れたかのように、白は倒れた。
 そして、泣き始めた。
 静かな冬の夜の山に、白の泣く声だけが響き渡る。
 静かに、それだけが。
 その泣く声が、心にしみるように、白の思いが伝わってくる。
 白がどうしてここに来てしまったのかあたしは理解した。言葉じゃ表現できないけど、理解した。
 それはみんな同じだった。泣く白をただ見つめることしかできなかった。
「殺せ」
 拓也が両腕を投げ出して地面に倒れる。リーちょんも同じように。そして、声を上げて泣き出した。
 あっ、あたしまで……。
 気がつくと冷たくて固い地面にふれていた。ブルーの腕が私に重なった。
 涙を止めることなんてできなかった。
 どうして泣いているかなんて考えたくもない。
 単純に、すべてが悲しいんだ。
 だから……。
 ……。
 雪が降ってきた。
 雪が何もかも洗い流してくれる気がした。
 雪に包まれながら、あたし達は泣き続けた。

 拓也……
 リーちょん……
 あたし……
 ブルー……
 白……
 五人の運命への涙。
 違ったとしても、あたしはそう感じた。
 仲間……
 互いに立場は違っても、思いは同じだった。
 お互いを本当に憎むことは、結局できなかった。
 そんな、中途半端な思いがこの涙を生んだ。
 あたし達はもう戦えない。憎めない。
 殺すなんてできない。
 元々は……仲間、だったのだから。
 誰も望まない戦い。
 そして、誰もが死ぬ戦い。
 果てには、自分を見失う戦い。
 一方的な殺し。
 すべては……意味を持ったことだったのだろうか。
 一人じゃないから大丈夫、ブルーの存在。
 それだけじゃない。結局真剣になっていたのは、相手を殺すことよりも、とにかく事を進めること。
 そのためには自分自身を殺し、本当の機械人形にならなきゃいけなかった。
 それは、私たち五人、誰にもできなかった。
 いつも感情に惑わされて、真剣になれなかった。
 それが生んだ涙。
 あたし自身にもそれは流れた。
 誰も機械人形にはなれない。なれるわけなかった。
 誰も本当には望まなかった。
「やめた」
 涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「やーめた」
 できる限りの声を張り上げる。
 あたしの声はみんなに届いただろうか。
 あたしの体力と感情は気絶する寸前だった。

 一五

 吸血鬼と吸血鬼狩りの戦いに、初めて第三者が介入した。
 国家だ。
 裏社会だった事実が、初めて表に出た。
 後は大人達のすること。
 国の決定によって、吸血鬼達や、いつも武器を持っている吸血鬼狩りは偏見で見られるかもしれない。もしかしたら、社会から隔離されてどこかでひっそりと暮らさなければならないかもしれない。
 あたし達五人のことや、この事実はマスコミに取り上げられて、一種の社会現象を巻き起こした。
 それは吸血鬼をさげすんだり、吸血鬼狩りにおびえたりすることではなかった。
 世論はあたし達を難民のように扱った。
 ちょっと、それは悲しかったけど、決して憎まれるようなことはなかった。
 「吸血鬼」という言葉は「求血人」へと姿を変え、献血と同じように吸血鬼のために血を贈るボランティア組織が立ち上がった。
 すべてが、上手くいっていた。
 まるであの日々が嘘のように。
 そう……
 まるで争っていたあの日々が嘘のように……。



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